63年前、日本に来ると決まった時に、フルダ修道院の会計係の神父さまのところに、挨拶に行った時のこと、神父さまがおっしゃるには「私は、日本の教会のために刑務所に入ったことがある。」とニコニコ笑いながら言われたことを思い出します。

彼の話によると第二次世界大戦の前までは、ドイツはアメリカと仲が良かったので、人もお金も自由に行き来していた時代でした。
そんな時代に、アメリカの慈善団体の婦人部から集まったお金を、フルダの修道院に寄付するという連絡があったので、会計係の神父さまは「私たちは何とかやっていけるので、出来れば日本の教会に送って下さい。」と手紙を出したら、すこし経ってアメリカの慈善団体から日本に送ったという手紙と送金した領収書が修道院に送られて来ました。
神父さまは、それを出納帳にはさんで、大切に保管していたのですが、ヒットラーの警察が修道院に来て、突然フルダの修道院を養老院にするので、出ていくように命令して、その時出納帳も見せるように言い出したのです。
会計係の神父さまが、出納帳を見せると、警察は非常に怒ったのです。
彼らが言うのには「ドイツに入るべきお金を、日本に送るようにしたので、おまえは大きな罪を犯したので、刑務所に入らなければならない。」と言って、神父さまの話を聞かないで、すぐ刑務所に入れられたのです。
修道院の院長様まで、連れて行かれなくて、自分一人だけだったので、ホッとしたそうです。その時ぐらいから教会も弾圧を受けはじめました。その神父さまに聞いた話ですが、司教様もヒットラーの警察に捕まりそうになりました。
その時の司教様は、司教冠と司教の杖、そして司祭服を身に着け、正装をして教会の玄関の前に立って、彼らが来るのを待っていました。
その街の人たちは、ヒットラーの警察が来た時に、みんなで騒ぎ出し、とうとうヒットラーの警察は何もせずに帰って行きました。
キリストは「世の終わりまで、あなたがたと共にいる」とおっしゃいます。昔も今も私たちへの励ましの言葉です。
私は、17年間、旭川刑務所で教誨師(きょうかいし)をしていました。彼らにどんな事があったのか分かりませんが、95歳の私に出来ることは、ただただ祈ることだけです。

投稿者プロフィール

Fr.Bauer Dominicus
Fr.Bauer Dominicus
ドミニコ司祭(アロイス・バウア・ドミニコ) ドイツ生まれ
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』2024年7月20日帰天

投稿記事は、このまま掲載いたします。どうぞご覧ください。