最近、私は「なぜ日本に来たのだろうか・・・」と考えることがあります。
勿論、神さまの望みが第一でしょうが、それでも私にも責任があります。色々考えてみてやはり戦争に関係があったと思います。
修道院に入る前に小学校に勤めていたのですが、多くの子供たちは戦争の影響を受けて落ち着かない状態でした。その時の西ドイツ政府は、戦争前からあった宗教の時間を復活し子供たちの心を育てようとしたのです。私たちの学校は、熱心なカトリック信者の校長が宗教の時間を受け持ちました。若い私たちに大切な神さまの話をまかせられなかったのでしょう。私は校長の側にいて、もっと神さまのことを知りたくなりフルダのフランシスコ修道院に入会しました。
31歳の時に司祭になり、信者数2000人ぐらいのマイハイム教会の助任を2年ぐらい勤めていた時に、目上から「フルダ修道院が経営している男子高校で数学を教えてはどうか?」と話があったのですが、私は「子供の頃から数学が好きだったので夢中になり、修道生活がおろそかになる」と思い迷っていたら、日本への宣教の話があり目上に願ったら快くOKが出ました。これも神さまの導きだと信じています。
日本に行くことが決まったので、すでに日本で働いているルカ神父さまに何を持って行くと良いか手紙を出しました。神父さまからは「Mut und Demut だけ持って来なさい」と返事が来ました。Mutは「勇気」 undは「そして」 Demutは「謙遜」。ドイツ語は、「勇気」も「謙遜」も一つの根から出た木のようです。私は、今まだルカ神父さまの宿題を黙想し、出来ることは実行しようとしています。本当の勇気と謙遜を持っているのはキリストだけです。
33歳の時に日本に来て、東京の日本語学校で1年学び旭川大町教会でルドルフ神父さまのもとで助任として働き、そのあとで大町教会を受け持ちました。1年ぐらいして、小さな女の子がタンポポと草で花束を作り持って来てくれました。色々あって沈んでいた私の心が晴れたのを思い出します。
優しい心は神さまからの贈り物です。ヨハネ15章の11節に「私の喜びはあなたがたにあり、あなた方の心が喜びに満たされますように」と書いています。喜びを分かち合える人になりたいです。

投稿者プロフィール

Fr.Bauer Dominicus
Fr.Bauer Dominicus
ドミニコ司祭(アロイス・バウア・ドミニコ) ドイツ人
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭