3才のわたし

8月12日のドイツの新聞に、世界平和と働く人たちのために19ヶ国の侍者団がバチカンに集まり、パパ様とともに祈りを捧げたと書いてありました。5才から84才までの人達、約6万人だったそうです。バチカンの広場は人であふれたでしょうね。私は、難しいことは分からないけれど、子供も大人もキリストを信じて祈ること、これが平和への第一歩と信じます。

私は、5人兄弟の一番下の子供で、年の離れた兄弟たちは家を出ていたので、朝ミサは母と私の2人で行きました。父は、刑務所に勤めていたので、いつも一緒ではなかったのです。3才の頃から侍者を1人でしたのですが、どうしていいか分かりませんでしたが侍者服は神父様のお姉さんが着せてくれました。私は、祭壇に向かって小さな椅子に座っているか、ひざまずいているだけでした。

まもなく神父様は隣の街の教会に異動になり、お姉さんと一緒に行ってしまったので、次の日から私はただ香部屋でボーッと立っていたら、新しい神父様が私に「どうして侍者服を着ないの?」と言われたので「だって一人で着られないもの」。「聖変化の時にはどうして鈴を鳴らさなかったの?」には「だって合図してくれなかったから」と、だってだっての私でした。祭壇は3才の私の背より高く、ミサの本を右から左へ移すことは出来ませんでした。それでも毎朝ミサに行きました。日曜日には、大きな子供たちと一緒に侍者をしていたので、彼らが右に行くと右に、左に行くと左に、「アーメン」と言ったら「アーメン」、「メアコルバー、メアコルバー」と胸を叩けば、同じように意味も分からなくても胸を叩きました。みんなの真似をしているうちに、一人でもいつの間にか出来るようになったのです。

話は変わるのですが、公会議前には司祭は聖櫃と十字架に向かって御ミサを捧げていたのですが、公会議後に信者さんに向かっての対面ミサとなり、ミサの祈りはラテン語から自国語に変わったのでした。私が日本に来たのは62年前でしたので、そのあと暫くしてから変わりました。ともかく何も分からない私を、その時まで微笑みながら待っていた聖なる神様と神父様に感謝。

 

投稿者プロフィール

Fr.Bauer Dominicus
Fr.Bauer Dominicus
ドミニコ司祭(アロイス・バウア・ドミニコ) ドイツ人 フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭