先日の休みの日に、4月から札幌修道院のメンバーに加わったブラザーを誘って、道南の上ノ国町に行ってきた。とくべつ用事があったわけではなく、上ノ国の市街地に「天の川」という川が流れているので、それを見に行ったのである。「かみのくに」という町の名前の響きがいい。おまけに流れている川が「天の川」というのも面白い。上ノ国は北海道で最も早い時期(12世紀)に和人が定住した土地で、町の案内板には北海道発祥の地と書かれていた。15世紀には渡島半島各地に「館」(たて)と呼ばれる砦が築かれ、函館の周辺は「下之国」と呼ばれ、上ノ国や江差の周辺が「上之国」と呼ばれていたのが町名の由来だそうだ。札幌修道院からは上ノ国役場まで315キロあり、函館に行くのとほぼ同じ距離だった。札幌を9時に出て、すこし空腹を我慢して、お昼はやはり「かみのくに」で食事をすることした。1時過ぎに入った食堂で、塩ラーメンを食べた。食堂の奥さんが「天の川は、町民にはどうってことのない川ですが、他所から来た人たちが喜んでくれます」と話してくれた。天の川橋で写真を撮ったが、川の側には「きらきら星公園」があった。教会ではいつも「神の国」という言葉を使っているので、わたしには上ノ国の町名がすごく嬉しく、魅力的に思えた。上ノ国には、学校・郵便局・診療所・スーパーもコンビニもあった。役場は武家屋敷をイメージしたような立派な建物だった。上ノ国は高速料金と燃料代と時間がかかったが、なんとか札幌から日帰りできる距離だった。

わたしたちが行きたい「神の国」には病院や役場が必要だろうか。「神の国」には何があって何がないのだろうと考えると面白い。イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われた。「神の国」はイエスの宣教のテーマだった。金持ちは入りづらく、幼子のような者は入り易く、最初は小さいが大きく成長し、毒麦も混じっていることがあり、イエスから幸いであると言われた無力で弱い人々は入りやすかった。あそこに、ここにというものでもなく、わたしたちの中で成長して大きくなっていくものだ。また、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、弟子たちを遣わしている。

神の国といえば聖アウグスチィヌスの著作を思い出す。わたしは、これは全22巻からなる大作なので読んだことがない。しかし、わたしはこの聖人の言葉を集めた「幸福は地上のものではない」という小冊子を持っている。分かりやすい言葉が多い本なので、この聖人の言葉で今月の文章を締めくくろうと思う。

106『生命を愛するならば、永遠の生命を選びなさい。何よりも、何を愛すべきでしょうか?生命を。そうです。何よりもまず、地上のよい生活と、後の世の永遠の生命を。まず地上においてよい生活を送りなさい。しかし、これはまだ本当の幸福であるとはいえません。よい生活は、今送るべきものでありまして、幸福な生活は、後のために神が準備してくださっているのです。よい生活はおこないであって、幸福な生活はむくいであります。よい生活を送りなさい。そうすれば、まことの幸福な生活を送る権利を受けるでしょう。』(マンテガッツア神父訳、世のひかり社)

カトリック留萌教会において主任司祭として赴任時に執筆。「教会だより2014年 7月号」より


札幌修道院中庭(カトリック北11条教会)

投稿者プロフィール

Fr.valentino Yamamoto Takashi
Fr.valentino Yamamoto Takashi
ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭