ある人の息子が嫁を連れて実家に戻ってきました。母親は大喜びです。息子は亡父の跡も継いで、一緒に生活してくれます。ただ、嫁がキリスト者でした。毎日曜日に教会のミサに行きます。生まれた孫もついていきます。つまり「牛にひかれて善行寺参り」。教会では、洗礼を受けるように勧められます。別に悪いことでもないし、だんだんと教会にもなじんできて、洗礼を受けました。若夫婦が教会に通い、孫たちが生まれて、幼児洗礼を受けました。母親もミサに参加しているうちに洗礼を勧められてました。
母親が応えました。「私が救われて、天の国に行ったら主人に悪いからと辞退します」。嫁が神父さまに、どうしましょう、と訴えました。神父さまが言いました。
「お母さん、ご主人は言うでしょう。お前はそんなにわしが悪い男だと思っていたのか」と。母親は、納得して洗礼を受けました。そうして親子、子供たち、義母もそろって教会が通うようになり、世にいう「聖家族」みたいになりました。

ところが義母は、病になり床につき、いよいよとなったときに、ナムアムダー、ナムアブダーと言うようになりました。嫁は、また訴えました。神父さまは、何と応えたでしょうか? あなたは、どう思いますか?

神父さまは「喜んでよいのではありませんか?」「神さまは、何でもできます、どんなの願いもわかるお方ですよ。ダイジョブ、大丈夫、心配ない」と言いました。