A voice came from heaven, you are my own dear Son I am pleased with you.
「天から声がした、あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(ルカ3:22)
降ってくるのは、雨か雪ですが、ある時の“声が降って来た”思い出です。
ある修道院の階段を降りてきましたら、声が降ってきました。降ってきたのは、雨ではなく声が降ってきた、そんな感じでした。
「清貧ではない、兄弟愛だ!」私は自分に言われた言葉ではないと感じました。しかし、だんだんと自分にも向けられた言葉と感じるようになりました。
N神父さまの声でした。
修道者には修道誓願があります。清貧、貞潔、従順の三つの誓願のことです。しかし、降ってきた言葉は「誓願ではない、隣人愛だ」でした。主イエスの教えでした。ルカの福音書3章22節にあります。
A voice came from heaven, you are my own dear Son I am pleased with you.
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(ルカ3:22)

晩年のN神父さまは、不遇だったようです。修道院の4階におられました。会議を終えて、3階から降りてくる私を見て、声をあげたのでしょう。
「不遇」(ふぐう)を辞書で引いたら、“才能を持ちながらもめぐりあわせが悪くて世間に認められないこと、また、そのさま”とありました。「不遇をかこつ」「不遇な晩年を送る」”ともありました。N神父さまの状態でした。憂いや悩み、悲しみを知って、4階におられたようでした。清貧ではない、兄弟愛だ!
“我が身をつねって人の痛さを知れ”とは、他人の痛みや苦しみを、自分自身の痛みに置き換え、相手を思いやることが大事だという教えです。

優しいという字を思い出してください。人偏に、憂いと言う字です。人の憂いや痛みを知る人が、優しい人になります。人偏は、イエスさまをも意味します。憂い、悩みなどを知ってから、人は優しくなれるようです。憂いや悩みを知っていますか?イエスさまは、知っておられた方です。優しいお方でした。
聖週間・Holy Week キリストの受難と死とを偲び、復活祭の準備として特に木曜、金曜に自分を省みて、主の復活を記念します。ご一緒に味わいましょう。
N神父さまの、清貧ではない、兄弟愛だ、今も響いています。