神居教会の皆さま、いかがお過ごしでしょうか? この度、旭川4教会助任として赴任してきた中村道生神父です。新参者ですが、忘れる、落とす、失くすが特技の後期高齢者なので、皆さまのお役に立てないのではと危惧しています。今回は、コロナウイルスのために皆様になかなかお会いできないこともあり、このホームページで自己紹介という事で記事を書くことになりました。

1941年、福岡で5人兄弟の3男として生まれ、戦争の時は母の実家に疎開していました。1945年、アメリカ軍の福岡大空襲の時、家は全焼し、父の大やけどした姿をおぼえています。妹二人は戦後の食糧難の時代に病気になり、薬も食事も十分に無く、亡くなりました。そんなわけで戦争に対する嫌悪感と、平和を希求する心が次第にはぐくまれてきたように思います。

高校はプロテスタントの西南学院に通っていましたが、キリスト教に出会ったのはやはり西南学院のお陰です。一方で、60年安保闘争の時は、学校を抜け出し、市内をデモしたこともありました。 入学初めの頃はキリスト教に反発していましたが、「神は、おん独り子キリストによって私たちを限りなく愛してくださっている。」という講演会の牧師先生の話がきっかけで、教会に通うようになり、中学時代の仲間と聖書を一緒に分かち合ったりもしていました。しかし、カトリック信者だった中学からの友人に誘われてはじめてカトリック教会の聖堂に入った時、ステンドグラスの光と荘重な祭壇、聖母マリア様のご像などに静かな祈りの雰囲気を感じ、すごく心惹かれました。

1960年に洗礼を受け、洗礼名の意味もよく分からずに代父の方と同じアッシジの聖フランシスコの名をいただきました。もし、聖パウロの名をいただいていたら聖パウロ会に入っていたかもしれないと思うと不思議な気がします。私の長兄は、私が洗礼を受ける少し前に交通事故に遭い亡くなりましたが、指導司祭に洗礼は誰でも授けることができると教えられ、香部屋にあったルルドの水をいただき、急いで洗礼を授けました。母は私が修練の時に高宮教会の神父さんに洗礼を受け、父は私が助祭の時、聖アントニオ神学院で直接洗礼を授けました。すぐ上の兄夫婦も、福岡のカテドラルの主任神父さんから公共要理を受けていたのですが、私に洗礼を授けるようにと勧められ、こうして私の家族はみんな洗礼の恵みを受けました。

1975年には、東京瀬田の聖アントニオ神学院で司祭叙階を受け、最初の赴任地は札幌北11条教会でした。その後、半年の留守番で、旭川5条教会に。それから福岡・高宮教会(元ラテン語神学校が付属)、北浦和教会(修練院付属)に主任司祭として派遣されました。次に赴任した、大阪・生野教会は日本人のみならず在日、対日韓国人の信徒も多数在籍し、現在はベトナム人も含む多国籍の共同体となっています。ここで、約30年間宣教司牧に従事。その間、韓国人のフランシスコ会の兄弟と交換宣教師として韓国に9年派遣されました。この時の一番の思い出は、韓国のお坊さんと親しくなり、北朝鮮の子供たちの食糧支援のために韓半島1000キロを、募金しながら巡礼したことです。

次回からは、キリストと人々との出会いを少しずつ書いていけたらと願っています。


十勝カルメル会へミサに向うさなかに出会った丹頂鶴(写真:提供中村神父様)