お参りですか  ― 宗教とは何か ―

神居教会で、タクシーを降りる時に「お参りですか」と言われました。日本人には、宗教は「お参り」のようです。お墓参り、手を合わせることが宗教みたい。納骨堂に来る人が、8月の時季には多くいます。教会は、お参りに行く場所でしょうか。何しに来ますか、あるいは、行きますか。

 

宗教という言葉の「宗」(ソウ・シュウ・むね)は、おおもと大事な教え、原理や真理を意味している、と学びました。ラテン語のRe-ligio(レ・リジオ)から生まれた英語 Re-ligion の訳語です。「レ・リジオ」は「ふたたび」という意味の接頭辞「re レ」と結びつける」という意味のligare(リガーレ)から、「再び結びつける」、つまり、神と人を再び結びつける「おおもとの教え」と理解されています。宗教は、キリスト教用語として受け入れられてきました。

 

宗教は生き方です。人は生きてきたようにしか死ねません。「終わりよければ全て、良し」となるために、命の使い方を大切にします。

生き方を示すのが「道」です。イエズス会の門脇佳吉師から、キリスト教よりも「キリスト道」と学びました。使徒言行録には「この道のことで」(19:23)という記述があります。キリスト者は「この道のもの」です。

「この道」は「救い」へと導きます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ4:6)。

 

「この道」は個人主義ではありません。みんなの救いと関連しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵み、キリストが現れました」(テトス2:11)。

福音宣教は「すべての人々の」救いのためにあるのです。派遣された場所で、命を使う時に「使命」が完成します。お参りで終わってはならないと思います。