カトリック教会との出会い

初めて教会を訪ねたのは、高1の秋でした。級友のF君が観てきた映画のストーリーを話した末に、「誰か教会に行ってみないか」と呼びかけたのが招きとなり、それに軽く応じたのが私でした。彼は「あそこは何でも旧教だよ」とひとこと加えました。それに反応したのも私でした。「新教へ行こう、改革した教会の方へ行こう」と。中学の歴史の時間に習ったことが思い出されて、旧教のイメージが良くなかったのです。しかし、F君は譲りません。「いや、あそこが良い」。それで訪ねたのが、カトリック松ガ峰教会で、土曜日の夕方のことでした。「時は午後4時ごろであった」(ヨハネ1:39)。

大谷石造りの教会の門柱があり、そこに「宇都宮天主公教会」と刻まれていました。後で明治21年の創立と知ります。二つの塔の先には十字架があり、○が付いていました。ケルト十字と言われる形のようです。聖堂が二階にあり、外側の階段から登って中に入ると、静寂、荘厳な雰囲気が漂っていました。F君は、そばを通って通学していたのでした。彼が「あそこに行きたい」と言った訳が分かりました。

庭先で、草取りをしているおばさんを見つけ、初めて訪れた事を告げると、入門講座がいろいろあることを教えてくれました。「でも途中から入っても、わかりにくいかも。私が少し手ほどきしてあげましょう」。そう言って近くの自宅へ案内してくれました。この方、Sさんの家は洋服屋さんでした。ご主人が仕事をしているかたわら、布地の切れ端が転がっている畳の部屋で、信仰とは何かについて、手ほどきを受けました。

そうして毎週一度通うようになり、3月にM神父さんに紹介されました。洗礼を受けたいですかと尋ねられ、私は「すぐに」(マタイ4:20)「ハイ」と言っていました。母に話すと、「わが家はお寺を持っている古い家柄だから、止めなさい」と言うのです。しかし、私は、聖ベネディクトのお名前を霊名にいただいて、洗礼を受けました。1951年3月24日土曜日でした。後年、母も洗礼を受けました。大垣市にある菩提寺のお墓を捨てて、教会墓地に一坪ほどの土地を手に入れて用意し、そこに眠っています。こうして私と母は、カトリックの信者になりました。Sさんの手ほどきのお陰です。

その後には、堕落したと思った教会の司祭になりました。母も私の決心を受け入れて「お前が幸せなら、その道を進みなさい」と見送ってくれました。私が、今日あるのは、まず神と教会のお陰です。今の私が在るのは、フランシスコ会と母のお陰です。特に母が払った犠牲に感謝しています。私に代わって母の晩年を支えてくれた叔父さんの小野さんのお陰です。出会いの跡を偲んでいくと、感謝の気持ちで一杯になります。

ブラジルのことわざに「神は曲がった線で正しく書く」があるそうです。好きな聖書の言葉は、「私が今日あるのは、神の恵みによることです」(1コリント15章10節)。

次回に続きます。