大きな森を探しにソレムに行きました。フランス西部、ル・マンとアンジェのあいだにあるソレムという小さな村の近くの森へ行きました。自分を圧倒するような存在感を知りたかったのです。「畏敬の念を覚える」体験を求めての旅でした。ソレムの森には、大きな木の林はありましたが、畏怖、畏敬を覚えさせるほどではありませんでした。The Sense of Wonder「センス オブ ワンダー」時季は、秋でした。
ソレム修道院のミサに入れてもらい、司祭団にも入れていただいて、グレゴリオ聖歌を歌いました。今思えば、破格の扱いでした。感謝しています。グレゴリオ聖歌が心に響きました。霊歌、聖歌でした。
英語で、畏敬の念をどういうのか、調べましたら、sense of aweとありました。しかし、私が最初に読んだ文字は、The sense of Wonder「センス オブ ワンダー」、レイチェル・カーソンの言葉でした。レイチェルの名前は、ラテン語ではラケルです。創世記に登場する女性です。ヤコブの妻。父はラバン、姉はレア、妹はラケル、それがレイチェルです。良い名前、良い女性でした。それがカーソンの名前でしょう。レイチェル・カーソンのお名前です。

時を経て、釧路に移動した時に、海霧を体験しました。霧で前が良く見えません。太平洋側から登ってくる海霧に恐れを感じました。旭川に移動した年の、釧路を離れた年の2月の最終日曜日に、根室から釧路へ向かう道で、地吹雪を受けました。前が見えません。ノロノロ運転していたら、タンクローリーの車が、追い越して行きました。そのテールランプを追いながら釧路修道院に戻りました。同じ日に中標津のほうで、吹雪で親と娘が事故に遭いました。忘れられません。その移動の年の3月の最終日曜日に中標津教会のミサに行きませんでした。昨年になって、つまり8年後に中標津教会を訪ねて事情を話しました。無事の再会を喜んでくださいました。恐れ、畏れ、「畏敬の念」の話しです。

旭川、神居に移動してきた年、両神橋を渡った時に、旭岳が見えました。雄大な風景、眺めに、感動しました。その翌年のお正月のミサ、五条教会からの帰り道、神居の山の方に見た風景も憶えています。ヨゼフ神父様と一緒でした。ソレムでは見られなかった景色でした。畏敬を感じました。「センス」、畏敬の念、センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)です。