“フォーメーション”形成する、形作るという意味です。「神は言われた。われわれに似せて、人を造ろう。神はご自分にかたどって人を創造された」(創世記1:26―27)。形成とは、形づくるとは、「人格を形成する」ことです。

司祭叙階後に“養成”を学んで来なさいと派遣されました。指定された学習科目は Formation でした。“フォーメーション”を「養成」と言います。修道者の育成のことでした。指定された場所は“セントルイス”でした。ご存知ですか?セント・ルイスを名乗っていた漫才師がいました。

“フォーメーション”いろいろな意味がありますが、司祭・修道者の「養成」でした。その養成の中身はロヨラの聖イグナチオの「霊操」でした。スペイン、バスク地方出身の聖人の残した宝物です。

聖人は、人間の体に体操が必要なように、霊魂にも、霊的な体操がいると考えました。聖イグナチオは、神の愛、神の自分への愛から、神とのパーソナルな関わりを深めるように勧めました。
私が、セントルイスで学んだことは「霊操―Spiritual Exercises」でした。

霊操の一番の土台は「神の愛」です。受け身の体験、愛されていると言う体験の確認が、原理と基礎、土台なのです。親の愛を感じたことがありませんか?
”ふと”気づく、”ふと”感じる体験があります、ありましたよ。”ふと”思い出すこと、がメディテーションです。天の国に行ったら、驚くことが三つあると言います。もっとあると思いますが、その一つが、自分自身についてです。どんなに大事にされていたか、愛されていたかと言うことです。

「客観的理解と主観的理解」、客観的理解の方が易しいのです。良い同伴者がいれば、納得できるでしょう。地球は丸い、見たことがありませんが、認めています。
主観的理解は、自分で気がつく以外にできません。内的な祈りは教えることが出来ません。つまり「主観的な祈りは」教えられないのです。
”鰯の頭も信心から”と言います。どう思いますか?!

ホームペイジを見たことありますか?たいていの教会にはあります。