私の歩いて来た道

U師に同行して派遣されたA教会は、「歩く宣教師」として知られるカジヤク師が、明治16(1883年)に設立した教会です。隣に日赤病院、その上の方には女子校、生徒たちが坂を登っていく話し声が聞こえる所にありました。庭先に立つと、目の前の小川で染め物の水洗いする人が見える所にあるのが、振り返ると浮かびます。

与えられた仕事は、訪問宣教でした。連続7回、毎週、同じ曜日の同じ時間に家庭を訪問して、リーフレットと呼ばれる小冊子を持って差し出していました。留守の時は、ポストに入れました。小冊子の内容は、信仰についての紹介記事でした。

目的は、カトリック教会を紹介して、教えを学びませんか、と求道者になるように招くことでした。求道者になる人は少なく、「宗教にすがるほどの悩みはない」という返事がほとんどでした。玄関先で話を聞いてくれる人もいて、毎週の訪問を聞いてくれると、うれしかったです。それでも宗教は不要という返事でした。
その頃の生命保険業界では、紹介状を持たず予約もなしに訪問することを「飛び込み」と言っていました。私のしていることは「永遠の生命」保険の外交員だと考えていました。

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)。

隣の病院に通院する人の中には立ち寄る人もいました。ときおり訪問する結核療養所では、教会に関心を示す人から、悩みや不安を打ち明けられました。当時の結核という病は「なぜ人生には苦しみがあるのか」と言うことを内省させていました。作家の三浦綾子さんも、結核になり、友人の前川正さんとの出会い、教会にも導かれています。
「神の恵みによって今日の私があるのです」と、今在る自分を受け入れるとき、過去も肯定的に受け入れられます。そして未来への希望も生まれてきます。

病気や苦しみを通して信仰に導かれる、これは仏教風に言えば、機縁です。隣人の苦しみから、信仰は何のためにあるのか、と考えさせられることになりました。そして洗礼を受けられた方たちのことが忘れられません。

 

次回に続きます。