旭川に来て、はや2か月半近くになりますがコロナのためまだ皆様となかなか会えずにいます。皆さんいかがお過ごしでしょうか?私は、日々の生活をなんとか有意義に過ごそうと思いながら、つい流されて時間を無駄に過ごしているのが現実です。最近、目が疲れ、肩こりもひどくなり、眼科に行ってやっと自分の不謹慎に気づかされました。コロナで時間がいっぱいできたこともあって、パソコンやスマホで時間をつぶすことが多くなり、それが原因でした。

それでも、帯広の時と違って兄弟たちと共同生活をしているので何かと助けられることがあります。「ミサ」や「教会の祈り」は、信徒の方たちとも一緒にさせていただいています。「教会の祈り」は、昔はオフィチューム(聖務)と言って、ラテン語で唱えられ、司祭や修道者がするものと考えられていました。それが、第二バチカン公会議の典礼改革で「ミサ」や「教会の祈り」が各国の言語で唱えられ、ミサはもちろん、オフィチューム(聖務)も、みんなで一緒に祈るようにという意向で、「教会の祈り」と呼ばれるようになりました。ただ、その中心となっている詩編の祈りには、旧約のユダヤ教の排他的な祈りが少なくないので、普遍的、全人類的な賛美と感謝の祈りになればと願っています。

生活の中では、足の不自由な兄弟たちのために、元気な兄弟たちが一緒に病院に行ったり買い物をしたりしています。3連休でコックさんが休みの時、交代で食事の準備をし、「うまい、うまい」とがやがや言いながら楽しく過ごしました。わたしは、先日は、チャンスがあって、ドミニコ神父様の散髪をしたのですが、「イヤー、若くなりましたねー」と食事の時の会話が盛り上がりました。

7月からは、平日聖ヴィアンネ会にミサに行くようになりましたが、一人の姉妹が、「うちはみんな高齢で、平均で81になります」と言われたので、すかさず「私たちは、82を超えています」と言って、大笑いになりました。ちなみに今年の日本の男子の平均年齢は81.25歳と報道されていました。

それでもやはり病気になれば不安がります。W神父さんは、肺に水が溜まって2週間ほど入院されましたが、27日に退院できたとメールがありました。肺の水を抜いて楽になったそうですが、酸素吸入器を付けての生活になり、皆さまによろしくとの伝言がありました。

5月ごろからベトナム語を始めました。簡単な挨拶だけでもできればと、ベトナムの方に週に一度直接教えてもらっているのですが、なかなかはかどりません。彼女はいろんなアイデアを屈指して熱心に教えてくれるのですが、私は記憶力の衰えを痛感する日々です。先日、カトリック聖歌656番「主に任せよ 汝が身を」を歌っている時、はっと気づかされました。主は仰せになりました。「私のもとに来なさい。私の軛を受け入れ、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは魂の安らぎを見出す。」と。Mt11.29-28

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