最近は、コロナのせいか、夜なかなか眠れなくて、3回ほどトイレのために起きます。齢のせいもあるとおもいますが、夢も多く見ます。種々雑多な夢でほとんどすぐ忘れてしまいますが、たまには不思議な忘れがたい夢もあります。

今年はコロナのために旭川地区のフランシスコ会の黙想会は中止になりましたが、個人的になんとか黙想の時を取らなければと思って、2泊3日で、渡辺神父さんのお見舞いも兼ねて釧路に行くことにしました。そんなときに見た黙想会についての夢の話です。普通の黙想会だと、講師の神父さんを呼んでその話を聞くのですが、夢の中では、講師の神父さんが三人もいて、私の話を聞いていろんなアドバイスをしてくれるわけです。ただ、参加者の兄弟たちが多いので、1日に一回しかアドバイスしてもらえません。なんとかならないかと考えていたら、一人の神父さんが「私たちのアドバイスよりも神さまのアドバイスを聞くことのほうが大切だ」と言われ、しかも神さまは、父と子と聖霊の神さまで、何時でもどこでもともにいて、私たち一人一人を導いて下さると諭されました。

よく考えてみると、三人の指導者の話は、日常の中で、いかにして三位一体の神の声を聴き、その声に心を開き、その愛の招きに答えるかについてのアドバイスをしてくれたのです。

私は、ひとりで教会の祈りを唱えるとき、典礼聖歌399番(高田三郎:作詞・作曲)をよく歌います。この聖歌は1番しかないので、2番を作りました。

 1) 聖なる時 聖なるところ ここに いま 神は おられる

   神の息吹に 満たされて その栄光を たたえよう

   神から来られた 主と共に 賛美と感謝を 捧げよう

 

 2) 聖なる時 聖なるところ ここに いま 父は おられる

   神の愛に 生かされて その栄光を たたえよう

   父から来られた 主と共に 賛美と感謝を 捧げよう

マリアとヨゼフはイエスと共にナザレで生活されて、この「聖なる時、聖なるところ」を生きられたのではと思います。 そして、私たちも、今、ここにいて、「神に心を開き」、「神の声を聴こう」とする時、神がともにおられ聖霊に生かされて、「聖なる時 聖なるところ」、となり、私たちの主キリストによって賛美と感謝を捧げる恵みをいただくのではないでしょうか。


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(写真提供:中村司祭)

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