以前、後輩の神父が私に『私一人が洗礼を受けていて親、兄弟、親戚は皆仏教です。普通の親であれば子供は結婚をして家庭を作り孫の顔を見たいと思っているはず。私の両親や兄貴はキリスト教の「キ」の字も知らないし、まして神父の生活など未知の世界。しかし、自分を信じてキリスト教という宗教に子供を弟を捧げてくれた。昔も今も不安と心配で心にかけてくれている。口には出さないが「そんな生活を止めて結婚してほしい」と思っているかもしれない。私からすれば両親や兄貴にいくら感謝しても感謝しきれない』『そんな気持ちの中、教会で「召命の祈り」を祈っているが、両親や兄貴の事を考えると、「召命の祈り」を祈るなら、口先だけでなく、「自分の子供を司祭、修道者に捧げたい、司祭、修道者になってほしい。そして、わが子を司祭、修道者にさせるにはどうすればいいのか」と真剣に祈ってほしいし生きてほしい。そうでなければ、私をこの道に送り出してくれたキリスト教を知らない父と母、そして兄貴に対して申し訳ない』と言っていました。

皆さんはこれを読んでどのように感じますか?

皆さんの教会内で「ある人が修道会に入る。司祭になる、シスターになる」と聞いた時、「凄いね~」「熱心だからね~」「毎週教会に来ていたからね」等々の喜びの話をする方がいます。逆に家族や身内から神父やシスターが出ることを嫌がったり、反対したり「家の子はならない」「なってほしくない」と端から否定の話をする方もいます。『他の方はいい!しかし、身内は嫌!』と。

この考えは当てはまりますか、外れていますか、どうでしょう?

皆さんは「司祭、修道者が出ますように」と召命の祈りを唱えています。この祈りの対象は身内である我が子ですか?それとも身内外のよその方ですか?

皆さんの家庭から神父やシスターが誕生してほしいですか?神父やシスターにさせたいですか?

因みに神学校や修道会に入会した最高年令が男子で54才、女子で50才と聞いたことがあります。本当に「召命の祈り」を祈るならば他の方ではなく、ご自身のお子さんやお孫さん、甥、姪に対して「自分の家庭内から」と真剣に見つめ祈って頂きたいです。

 

投稿者プロフィール

Fr.Michael mano masataka
Fr.Michael mano masataka
ミカエル間野 正孝主任司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区長 修道院長