教会の典礼暦で11月2日は「死者の日」とし、亡くなったすべてのキリスト者を記念します。2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第にミサが伴うようになりました。亡くなったすべてのキリスト者を1年の特定の日に記念することは、7世紀初めにセビーリャの司教イシドルスが、聖霊降臨の祝日の翌日に死者を記念するミサを行なうように指示したことに始るとされています。……11月が「死者の月」として定着してきたのがいつからなのか定かではありませんが、死者への思いがミサをはじめとする様々な祈りの形で表され、それが広がりを見せ、伝統・習慣となって次第に死者の月になったと考えられます。(カトリック中央協議会「死者の日とは」参照)

日本では「お盆の日」が「死者の日」にあたるのでしょうが、春分の日や秋分の日にもお墓参りをしますし、お寺にお参りし、僧侶に祈っていただく「法要」があります。これはカトリックの場合、教会で司祭に、故人のためにミサを依頼するのと同じですね。

私は82歳になり、最近、コロナにもなり病院通いが増え、「自分の死」を考えることが多くなりました。しかし、不安や恐れで考えるよりも、聖書のみ言葉によって希望をもって思いめぐらすことが多いです。実は、私は小さい時から死について考えていました。二人の妹が戦後間もなくの頃、「はしか」と、「日本脳炎」で亡くなりました。母から、「妹たちは空の星になったとよ。」と言われ、素直に信じていました。高校時代にプロテスタントの学校に通っていたので、キリスト教の考え方を自然に受け入れていたように思います。さらに、カトリックの友達に誘われ、公教要理を学び始めた頃、兄が交通事故で亡くなった時、自分はまだ洗礼を受けていなかったのですが、指導司祭に勧められ、ルルドの水で兄に洗礼を授けました。教会に戻って、聖堂に入り祈った時、その時はまだ「復活の命」とか、「永遠の命」とかは何も知りませんでしたが、兄は救われていると思いました。

私は、その年の「諸聖人の祭日」に、聖フランシスコの名を頂いて洗礼を受け、それがきっかけで、フランシスコ会の兄弟の一人にしていただきました。さらに、司祭叙階の恵みを受け今日に至っていますが、自分の弱さや、至らなさ、罪深さを実感する毎日です。それで、最近は自分を見つめることよりも、「主の思い」、「主の眼差し」に心を向けるように努めています。そういう思いで、この「死者の月」を生きることを考えるようになりました。

主は、私たちを「神の国」・「婚宴の席」に招いてくださっています。(マタイ22章)。ですから、「死者の月」を生きるとは「神の国」・父と子と聖霊の神の命の交わりに与ること、と言えるのではないでしょうか。聖パウロはローマ人の手紙の中で、以下のように語っています。

だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。 人を義としてくださるのは神なのです。 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。 死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、 神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。 艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ロマ書8,33-35)

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投稿者プロフィール

Fr.Nakamura Michio
Fr.Nakamura Michio
クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区 旭川フランシスコ修道院 助任司祭 (旭川五条・旭川六条・神居・大町・富良野)
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