教皇フランシスコは、3年前に、この年間第三主日を、「神のことばの主日」と制定されました。それは、わたしたちが「神のみことば」をより深く心に刻み、日々の生活に生かし、周りの人々に伝えるために他なりません。教皇は、「神のみことば」である主キリストが、私たちのためにこの世に来られ、その生涯と死と復活を通して、私たちに永遠のいのちを与え、私たちの主として、今もいつも世々に共にいてくださるというこの「福音の喜び」を伝えるようにと願っておられます。
今日の福音の最初に、福音史家ルカも、新しく洗礼を受けて信徒となったテオフィロに、「わたしたちの間で実現した事柄」すなわち、イエスの生涯と死と復活のことを、「私も初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。」と述べ、さらに、その理由を、「お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かって頂きたいのです」と書いています。
次に、今日のルカ福音書は4章に飛んで、イエスが、ガリラヤでどのように福音宣教を開始されたかを告げています。
4・14〔さて、〕イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
さらにイエスは、お育ちになったナザレに行かれ、いつもの通り安息日に会堂に入り、聖書、すなわち、「神のみことば」を朗読されました。ここで、2週間前の「主の洗礼の主日」で読まれた、ルカの福音書3章を思い起こしていただきたいのですが、それは福音宣教の原点、あるいは出発点とも言える主の洗礼の出来事です。
21民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、22聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。とあります。実際にイエスは、「神のみことば」を聞かれました。
私は、さらに、聖マリアがお告げを受けられた場面も深いつながりを感じます。天使が、「アベマリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます」「聖霊があなたに臨女です。お言葉の通りになりますように」と。
さらに、聖パウロもその手紙で「神のみことば」を告げています。エフェソの手紙の初めに次のように書いています。「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」
私たちが福音宣教に呼ばれているのも、洗礼と堅信の秘跡を通してだけでなく、今日読んだルカの福音書やパウロの手紙などの「みことば」を通して呼ばれていることを忘れてはなりません。教皇は、私たち教会共同体が、この「神のみことばの主日」を祭日としてふさわしく過ごす方法を見つけ、ミサの中で聖書を聖なるものとして祝うことで、「神のみことば」が持つ価値をはっきりと示すことが重要だと強調しておられます。
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投稿者プロフィール
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クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区 旭川フランシスコ修道院 助任司祭 (旭川五条・旭川六条・神居・大町・富良野)
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