ロザリオの信心は、聖ドミニコ(1170~1221)が異端と戦っている時、聖母マリアからの啓示を受けたのが始まりだとされています。とくに、10月7日は「ロザリオの聖母」の記念日になっていますが、これは1571年のギリシア・レパントの海戦でキリスト教徒がオスマン・トルコ軍に対して勝利を収めたことを記念して、聖ピオ五世教皇(1566~1572)によって定められました。そして、レオ十三教皇(1878~1903)は10月を「ロザリオの月」と定めました。

ロザリオの祈りを歴代の教皇はたびたび言及し賛えています。ピオ11世教皇は「われわれが神の御母に向かって唱えるいろいろな、そして有益な祈りのうちで、聖なるロザリオは特別な、きわめて主要な地位を占めていることを知らない信者はない」(回勅『イングラヴェシェンティブス・マーリス』)といっています。また2002年10月16日に教皇ヨハネ・パウロ二世は、使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」を発表されました。「喜び、苦しみ、栄えの神秘(玄義)」に「光の神秘」を加え、この祈りを通してより豊かにイエスの生涯の神秘に触れることができるようになりました。(カトリック中央協議会・ロザリオの月)。

わたしとロザリオの結びつきについて話すと、最初に友だちに連れられてカトリック教会を訪れたのが「聖母月」の5月で、そこで毎晩ロザリオの祈りが唱えられていました。何も分からないで勧められるままにロザリオの祈りに参加していました。(家の仕事の手伝いを逃げる口実でもありました。)「ロザリオの月」の10月にも毎晩ロザリオの祈りがあり、毎晩参加し、11月1日諸聖人の祝日に、聖フランシスコの名をいただいて、洗礼を受けました。その当時は、どこの教会でも聖母月とロザリオの月だけでなく、主日のミサの前にはみんなでロザリオの祈りをしていたように思います。ラテン語のミサの時代でしたから、信徒の祈りとして親しまれていたのかもしれません。フランシスコ会に入会してからは、特に、修練期には「聖母の七つの喜びのロザリオ」(フランシスコ会のロザリオ)を唱えましたが、7連は長いので、やはり神学校でも、ドミニコ会の「ロザリオ」をみんなで唱えていました。ロザリオはいつでもどこでも唱えられるので、習慣となり、司祭になってからも、信徒や修道院の兄弟たちと共同で唱えないときは、個人で毎日唱えてきました。

現在では「教会の祈り」が唱えられるようになって、もっと意味のある”教会の祈り“になったと思いますが、いつでもどこでも簡単に祈れるのは”ロザリオ“に勝るのはないと思います。ただ、簡単に祈れるというだけでなく、マリア様と共に、マリア様に結ばれて祈っていることがとても素晴らしいことだと思います。私は小さい時、いつも母に甘えてべったりくっ付いていましたので、腰巾着と言われていました。それで、最近私の祈りがどこか、自分中心の祈りになっているのに気づき反省しています。

マリア様の心を心として、貧しい人、苦しんでいる人の叫びを聞き、すべての命が大切にされるように、マリア様に取次ぎを願っていかなければと思っています。


使徒的書簡 「おとめマリアのロザリオ」
ROSARIUM VIRGINIS MARIAE
教皇ヨハネ・パウロ二世著
カトリック中央協議会HPより)


ロザリオの聖母

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投稿者プロフィール

Fr.Nakamura Michio
Fr.Nakamura Michio
クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区 旭川フランシスコ修道院 助任司祭 (旭川五条・旭川六条・神居・大町・富良野)
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