主の洗礼(マタイ 3.13-17)これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者・・・ 2011年A年(2011/1/9)

この冬は留萌地方の降雪が異常に多いようです。年が明けてから滝川や美唄方面、また旭川にも行ってきましたが、留萌よりも雪は少なかったです。昨年のクリスマスの日、夕方、羽幌のミサに行く時は雪も風もすごく、真っ白で何も見えない中を、何回か道端の雪の壁に乗り上げながら、苦労して羽幌までたどり着くことが出来ました。その時、昨年11月末に買い換えた新しい車にはカーナビがついていたので、少し助かりました。何も見えない中で、この道はしばらくは真っ直ぐだ。ここはカーブになっている。上平に入っているので、右側にバス停があるからそこで休憩できるなどと判断できました。

わたしたちが洗礼を受け神様の子どもになると、キリストが私たちと一緒に歩いてくれます。カーナビではなく、人生のナビになってくれます。神に対してどうすべきか、人に対して、さまざまな出来事や苦しみ喜び、人生をどう受け止めるか。そういった多くの情報をいつも与えてくださいます。

今日の主の洗礼の祝日は、イエスが公生活に入ったことを記念する日です。洗礼者ヨハネの行っていた洗礼は、当時エッセネ派とかファリサイ派というユダヤ教の熱心なグループが行っていた洗礼とは違うものでした。それらのグループの洗礼は繰り返し受けられるものであり、苦行し、敬虔さを保ち、律法を忠実に守る人たちだけに限られていました。しかし、洗礼者ヨハネの洗礼は悔い改める人は誰でも受けることが出来、一回限りで、そのために決定的な回心を求める厳しいものでした。ルカ福音書ではユダヤ社会では罪人の代表格だった徴税人も洗礼を受けに来ていたことが書かれています。イエスがその中にいたことは、神が私たち罪人を招いてくださり、共にいてくださることを考えさせます。

イエスは人々に混じり洗礼を受け、水から上がった時に「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と天からの声がして聖霊に満たされます。今日はわたしたち各々が受けた洗礼について考えるのにいい日です。洗礼によってわたしたちは神の子として生まれ変わりました。洗礼によってわたしたちの新しい命が始まりました。聖霊の賜物をうけ、神の子としての特別な待遇も始まりました。さまざまな秘跡を受ける権利、教会の一員、聖徒の交わりの中に参加することも出来ました。

昨年12月に北海道日本ハムに入団が決まった早稲田の斉藤佑希選手が札幌ドームで、入団のセレモニーをした時、彼は「わたしは駒沢苫小牧と決勝戦で戦ったので、北海道ではマイナスのスタートになります」と言っていました。でも実際はそんなことがなく、北海道の野球ファンは彼が入団してくれて大喜びだったと思います。

私たちの受けた洗礼は、わたしたちのマイナスを拭い去り、ゼロではなくプラスの状態にして神の子としてスタートさせてくれたのです。しかし、洗礼者ヨハネもまたイエスも宣教生活の初めの言葉も「悔い改めなさい」でした。まず、本来のあるべき姿、新しく生まれた時の心、そういったことを考え、悔い改めることを忘れずに、感謝して信仰生活を歩んでいきましょう。

 

入院療養中の山本神父様へ
快く、2011年A年お説教テキストの掲載をご承諾いただきましたこと深く御礼申し上げます。
修道院へお元気にお戻りになられました時には神父様のお説教をまたお聞かせいただければ幸いです。
皆でお祈りしております。

投稿者プロフィール

Fr.valentino Yamamoto Takashi
Fr.valentino Yamamoto Takashi
ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭