人生の旬
先日、わたしの卒業中学のクラス会の案内が来た。今まで一度もクラス会の案内などもらったことがなかったので驚いた。発起人の名前は聞いたことあるような気もするが、顔は思い出せない。でも、案内文には「私たち○○中学校第10回卒業生も古希を迎える年となりました・・・」と書かれていたので、たしかに同じ学年だとわかった。わたしは6月に70歳になったばかりだ。わたしが中学校を卒業したのは1962年で、もう55年も経っている。懐かしく思うが、その日が日曜日なので参加はむりだ。
海原純子さんという心療内科医が「若々しく年齢を重ねるための方法」について書いている。老年には二つのタイプがあって、年齢相応に中身も老け込んだタイプと暦年齢より心が若々しいタイプの二つだ。自分がどちらのタイプに向かっているかは、簡単なチェックで分かるようだ。まず、普段の生活で、「過去を振り返る時間」と「将来のことを考える時間」を比べると、どちらの時間が多いかだ。過去のことが・・・を選んだ人は年齢相応に老け込んでいる人で、「将来のこと」が多い人は、新しいことに挑戦する若々しい人だ。次に「人に教えている」時間と「自分が学んでいる」あるいは「研究している」時間のどちらが多いかとを調べると、経験の豊かな年長者は人に教える機会が多くなるが、教えるだけで新しいことを学ばなければ老化はどんどん進む。知的刺激は脳を活性化するので、新しく何かを学んだり、何かを始めることが若々しい心を保つために大切なようだ。
先日、105歳の医師、日野原重明さんが亡くなった。この方は1911年にメソジスト教会の牧師の次男として山口県に生まれ、少年時代、母の命を救った医師との出会いで医学の道へ進んだ。キリスト者として「命と平和の尊さ」を訴え続け、文化勲章を受賞している。毎日新聞は社説で、「100歳を超えても現役の医師として働き、長命社会をどのように生きるかについて身をもって示した人だった」と評価し、また、10年先まで書き込める手帳を使い、1分を惜しみ、105年という年月を、その何倍も生き抜いたと書いていた。
最近の教会は、どこに行っても、高齢者が目立つ。でも教会は、老け込まないで、誰に会ってもみんな、生き生きとした、目の輝きが違う、若々しい人が多く集まる場所であってほしいと願っている。
何かを始めるのに、遅すぎることはない。「旬」という言葉は「物事を行うのに最も適した時期」という意味がある。10代には10代の60代は60代のその時にしか出来ないことがある。人生にはさまざまな時があり、経済状態がわるい時、健康がすぐれない時、子育てや介護で時間のない時もある。しかし、今しかできないことがある。今を大切に、今が旬だと考えよう。マザー・テレサは「昨日はもう過ぎてしまい、明日はまだきていません。わたしたちには、人々が神を知り、神を愛し、神に奉仕するよう助けるため、今日という日しかないのです。」と言っている。渡辺和子シスターは、今日という日は、わたしの人生で「いちばん若い日です」と言っている。
今は暑さの旬だ。しかし、今はわたしの人生の旬だ、今しかできないことを大切にしよう。
投稿者プロフィール
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ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭