皆さん、いかがお過ごしですか? 私は後期高齢者となり、文字通り‘終末の時’を過ごしています。最近気が付いたことですが、「アヴェマリアの祈り」で、私たちは、「今も死を迎える時も神に祈ってください」と、いつもマリア様に取次ぎを願っています。とはいえ、私は、ロザリオのいのりを唱える時などにはほとんどそのことを意識していません。 ‘終末の時’は、もちろん、個人の死の時だけでなく、もっと深い大きな意味があります。世の終わり時。さらに、「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」と言われた、‘キリストの時’です。

 10月に、東京瀬田修道院で、聖フランシスコの、「太陽の賛歌」800年の記念行事があり、長崎から北海道までの全兄弟、約70名が参加したのですが、講演会の後、80才代の兄弟のグループと、70才代のグループに分かれて、‘霊による会話’がありました。その時、私たち80代のグループの分かち合いの最後に、一人の兄弟が残した最後の言葉がとても印象的でした。80才を過ぎると、忘れること、失くすことなどが増え、思いどおりに働けなくなったことへの愚痴などの分かち合いが多かったなかで、彼は、大切なことは、「ある」こと、と一言述べました。

 ヨハネの福音書のはじめに、“初めに言があった。言は神と共にあった”とあります。創世記のはじめにも、“神が、「光あれ」と言われると、光があった。”とあります。さらに、私たちはミサの中で、「主は、皆さんと共に。」、「また、あなたとともに」と、キリストが共にいてくださることを祈り、願います。

 ところで、‘シノドス’について、皆さんもよくお聞きになっていることと思います。また、実際に、‘シノドス’に参加された方も多いかと思います。私も、旭川地区で行われた‘シノドス’に参加しましたし、ヴィアンネ会の姉妹たちと、‘シノドスハンドブック’を読んで、分かち合っています。ズームで、信徒の方たちとも分かち合っていますが、私は、まだよく理解できないでいます。 ‘シノドスハンドブック’によると、シノドスとは「ともに歩む教会」の姿を示しているそうです。今までの「教会」は、司教、司祭中心でしたが、シノドスの教会は、皆と共に歩む教会です。みんなの中には、いろんな国の人が共に集い、祈り、分かち合う教会です。

 イエスは、エリコで、徴税人のザアカイに声をかけ、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と告げられました。ザアカイは、喜んで主をお迎えし、「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。」と宣言しました。イエスは彼に仰せになります、「今日、この家に救いが訪れた」と。

 シノドスの歩み、私たち教会の歩みは、主が共にいてくださり、主に導かれ、いろんな国の人々、小さな人々、貧しい人々と、ともに歩むことにあるのではないでしょうか。 そして、教会の母聖マリアも、いつもともにいて、ともに歩んでいてくださっているのではないでしょうか。

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投稿者プロフィール

Fr.Nakamura Michio
Fr.Nakamura Michio
クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川フランシスコ修道院
(旭川地区:旭川六条・神居・大町・富良野 助任司祭)
Telephone=070-5432-1694 
mail-address=cletusnakamura@yahoo.co.jp