戦後80年を迎えた今年は、いろいろと考えることが多かったように思います。私と同世代の人たちは、兄弟が多いのではないでしょうか。使徒たちではないですが12人兄弟の家族も珍しいことではなかったように思います。

 私のうちは、五人兄弟でしたが、妹二人は戦後の食糧難で、体力がなく、「はしかと風邪」で亡くなりました。それで、三人兄弟の末っ子になった私はけっこう甘やかされて育ちました。勉強など、しんどいことは後回しにしたため、公立高校には入れず、プロテスタント系の西南学院に入学し、このことがキリストに出会うきっかけとなりました。この時代は安保闘争が全国的な広がりとなり、私も授業を抜け出して、クラスの親しい友人たちと、福岡の天神通りをデモしました。驚いたことは、英語の先生もすぐ後ろの列で、デモしておられたことです。このころ、中学時代からの十人近い友人が毎週、自分たちだけで、友達の家で聖書を分かち合っていました。そのうちの一人で、カトリック系の学校に通っていた友人が大名町教会に誘ってくれました。彼は生涯の友人となりました。

 1960年、この教会で、フランシスコの名前で洗礼を受けました。そのとき読んだ「聖フランシスコの小さき花」に大きな感銘を受け、同じ生き方ができたらと願うようになりました。幸い、私のうちの近くにフランシスコ会の修道院があり、1965年に入会しました。ラテン語の勉強は大変でしたが、長崎や北海道からきた若い兄弟たちと生活を共にできました。その後、1年の修練を北浦和で受け、クレトの修道名をいただきました。哲学3年と神学4年は瀬田の大神学校ですごしました。勉強は相変わらずダメでしたが、兄弟たちと一緒に食事をし、一緒に遊びました。マージャンを習ったのもこの時でした。1番負けた兄弟は勝った兄弟の週末の掃除をしなければなりませんでした。みんなで大阪万博に行ったのも楽しい思い出です。瀬田には聖書研究所もあり、勉強の時は先生と生徒の関係になりますが、食事の時は一緒に皿洗いをし、サッカーも一緒にし、運動会の時は信徒の方々とも一緒にしました。仮装行列の時には、私は21世紀のシスターに扮して、特別賞をもらいました。

 私は瀬田で、哲学や神学はちゃんとできませんでしたが、祈りや生活を共にし、兄弟として生きることを教えていただいたように思っています。
イエス様はある時弟子たちに「あなた方の師は一人だけで、あとは皆兄弟だ」といわれました。聖フランシスコも、皆が兄弟として生きることを目指したのではないでしょうか。

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投稿者プロフィール

Fr.Nakamura Michio
Fr.Nakamura Michio
クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川フランシスコ修道院
(旭川地区:旭川六条・神居・大町・富良野 助任司祭)
Telephone=070-5432-1694 
mail-address=cletusnakamura@yahoo.co.jp