「復活の主日」のミサで読まれた、パウロの手紙に、「皆さん、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。」とありました。今一番心に残っているみ言葉です。上にあるものとは何か、「ムジゲの便り」を振り返って少し考えてみました。
私は、1975年に司祭に叙階されて、間もなく叙階50年になりますが、体力、精神力の衰えに悩まされています。それで、毎日小一時間散歩し、「男の体操教室」や、「トク認会」という認知症予防教室にも通っています。しかし、主は、「上にあるものを求めなさい」と言われます。それで、私のこれまでの歩みを「ムジゲの便り」をもとに振り返ってみると、1960年に洗礼の恵みを受け、65年にフランシスコ会に入れて頂き、75年に叙階を受けました。これまでの生活を一言でいえば、“だらだら”と過ごして来ました。それなりに反省をして、京都から長崎まで巡礼し、タイやフィリピン、ベトナムにも行きました。1996年には韓国に派遣され、韓国での生活を分かち合うことを目指し、平和のための小さな虹の架け橋になればと、2000年にブログ「ムジゲの便り」パート1を始めました。2005年、ふたたび大阪・生野教会に戻り、ムジゲ・パート2を始めましたが、忙しさにかまけてなかなか更新できませんでした。2014年4月からは北海道・釧路に転勤となり、ムジゲ・パート3を発信し、帯広からパート4,そして、旭川に転勤してからパート5になりましたが、“だらだら”がもっとひどくなっています。単に“だらだら”でなく、「上にあるものを求めて」生きなければと考えていましたが、「神のいつくしみの主日」の福音で、「上にあるもの」が何かを改めて考えさせられました。
弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていましたが、そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように!」といわれました。さらに、トマスには、「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。」と言われました。
“だらだら”と生きるだらしない自分、罪深い自分に捉われる自分を見つめるのではなく、自分の手を伸べて、復活されたキリストに触れることです。いや、私たちにはそれ以上のことがあります。主は仰せになりました。「これは私の体。これを取って食べなさい」と。
だから、パウロは「皆さん、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。」と言っているのではと考えました。
“だらだら”と生きている自分、心を閉じて、自分の世界に閉じこもっている私の心の中にも、復活されたキリストは、『あなたに平和があるように!』といわれます。復活された主は、私たちの罪の贖い、それだけでなく、キリストの復活によって永遠の命、復活の命にあずからせて下さいました。
「上を向いて歩こう」という坂本九の歌を思い出しました。
私はそれを少し言い換えてみました。
「上を向いて歩こう “恵み”が こぼれないように」
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投稿者プロフィール
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クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区 旭川フランシスコ修道院 助任司祭 (旭川五条・旭川六条・神居・大町・富良野)
Telephone=070-5432-1694
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