11月は、典礼では「死者の月」と呼ばれ、1日には「諸聖人」を祝い、2日は「死者の日」を記念します。ヘブライ人への手紙の著者は、9章26節で、「キリストは、世の終わりにただ一度、ご自身をいけにえとして捧げて罪を取り去るために、現れてくださいました。」続けて28節で、「二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待望している人たちに救いをもたらすために現れてくださるのです」と、述べています。世の終わりは、キリストの降誕に始まり、死と復活を遂げ、昇天された後、すべての人を救うために再臨されるとき完成すると述べています。私たち日本人が、お盆や、春と秋のお彼岸にお墓参りをする死生観とはかなり違っています。

 パウロはⅠテサロニケ4,13-5,24で主の再臨の日に備えるようにと教えていますが、是非いちど通して読んでみてください。以下は、その1部引用です。

 5,4しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。 5あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。 6従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。 9神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。

 16いつも喜んでいなさい。 17絶えず祈りなさい。 18どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

 24あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。

 福音書ではしばしば、神の国と永遠のいのちについてイエスのみ言葉を伝えています。マタイ25章「最後の審判」は良く知られていますが、マタイとマルコとルカは、同じように神の国と永遠のいのちについて、3つのエピソードを伝えています。そこでイエスは、独自の言葉を伝えています。①「神の国と幼子たち」では、「幼子のようにならなければ決して神の国に入ることはできない。」と。続けて、②「金持ちの青年の話」では、青年が、永遠のいのちを受け継ぐには、どうすればよいか尋ねた時、「持ち物をことごとく売り、貧しい人に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから私に従いなさい」といわれた。青年は悲しみながら立ち去ります。そこでイエスは③「金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方が易しい」と言われます。弟子たちが驚いて、「いったい誰が救われるだろうか」と、問うと、「人にできることではないが、神にはおできになる」と答えておられます。

 新約聖書の最後の黙示録の結びで、「主は、『私は、すぐに来る』と仰せになり、教会は、『アーメン。主イエスよ、来てください、マラナ・タ』と希望を込めて祈ります。」

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投稿者プロフィール

Fr.Nakamura Michio
Fr.Nakamura Michio
クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区 旭川フランシスコ修道院 助任司祭 (旭川五条・旭川六条・神居・大町・富良野)
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