先日、夢の中で、母が「あなたたちはいま、日本はコロナで大変だと言っていますが、母さんたちの時代は、もっと大変だったとよ」と、戦前・戦後の時代の困難を話してくれました。もちろん夢の中だから、つじつまの合わないことはありますが、自分の子供だった頃のことをあれこれ思い起こしました。

私たちは今、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしていますが、9月15日には「悲しみの聖母」を祈念します。マリアさまは、御子の十字架のもとにたたずまれた時だけでなく、幼子を神殿に奉献した時に、シメオンに「あなた自身も心を剣で貫かれるでしょう」と予告されます。「エジプトへの避難」、「神殿で幼子を見失う」、「十字架の道行きでの同伴」など、7つの悲しみがあったと言われています悲しみの聖母-Wikipedia参照

私は、今まで自分の母親に甘えるだけで、その悲しみや苦しみをほとんど考えたことがありませんでした。戦中戦後では、だれもが大変な思いを過ごしてきたわけですが、それだけに、今のアフガニスタンやミヤンマー、そして北朝鮮で虐げられている貧しい人々を思うと心が痛くなります。私の母も貧しい中で、子供を5人産み育てましたが、妹二人は昭和20年と23年に病死しています。食べ物もなく、医者にかかるお金もない中で、幼い子供を看取った母の悲しみはどれ程だったかと思います。父は頑固で、何かで機嫌が悪い時など、母につらく当たり、暴力をふるっている所もしばしば見かけました。それで私は父を酷く嫌っていました。

母は、私が中学生になったころ、結核を患い入院しましたが、少し良くなると退院してきましたがすぐにまた入院し、入退院を繰り返しました。そういうこともあってか、天理教をはじめいろんな宗教に関わっていました。私は無理やり起こしてもらって母についていったのを覚えています。私は高校時代、友達の紹介でカトリック教会に通うようになり、その年の夏、母が久しぶりに退院してきたのですが、私の兄はバイクで、母の布団を取りに行った帰り、積んでいた布団が邪魔になりカーブを切った時に横転し、4日後に亡くなりました。私はまだ洗礼を受けていなかったのですが、教理を教えてくれていた神父さんに、ルルドの水を頂いて、臨終洗礼を授けました。一緒に見舞いに来ていた父がその時号泣したのを初めて見ました。兄は、まもなく結婚し、家を継ぐことになっていました。家にいた母は、どんな思いで兄の死を受け止めていたか分かりません。

その年の諸聖人の祝日に、私はフランシスコの霊名をいただいて洗礼を受けました。その縁で4年後にフランシスコ会に入り、母は私が修練の時、フランシスコ会の神父さまに洗礼をうけ、父はときどき、瀬田の神学校に私を訪ねて来てくれていましたので、助祭の時、直接洗礼を授けました。

司祭叙階式の時には、両親と次男の兄夫婦も参加してくれていましたが、その時兄夫婦はすごくいい印象を受けたらしく、福岡の大名町教会で教理を習い始めたとの事でした。兄夫婦はそのことを私に何も言っていなかったので、そこの主任神父様が、「今度、お兄さんたちが洗礼を受けるから、あなたが授けてあげなさい」と言われた時はびっくりし、また神さまの恵みに深く感謝しました。母は、最後は特別養護老人ホームで、94歳で帰天しましたが、私も今年傘寿を迎えました。私は、ときどき、妹たちと兄から長寿の恵みをいただいていると考えることがあります。

 

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投稿者プロフィール

Fr.Nakamura Michio
Fr.Nakamura Michio
クレト中村道生司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区 旭川フランシスコ修道院 助任司祭 (旭川五条・旭川六条・神居・大町・富良野)
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