†主の平和
 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年は何事も「牛年」にならって、ゆっくり、ふり返りながらやって行こうと思いながら、今回も題目に慌てながら、急ぎながら、悩んでいます。
 よし、今年も「I.C.U.」でいくことに決まりました。
 昨年4月から旭川の修道院に来て、春から夏・秋・冬を迎えています。その修道院の司祭室は1階、生活スペースは2階、聖堂は2階、食堂は1階、席は超上席です。と云っても私たちが来た時は、前任者の席しか空いていなかっただけですが…。
今も晴れた早朝は広い庭の雪面にひかりがあたり、木々の間をひかりが射し込んできます。実に美しい絵になる一瞬です。修道院生活の特権でしょうか!前の小教区の小さな「我が家」では味わえなった味です。春は緑の芝生、木々の新緑、夏は果物が実り、秋は紅葉、冬は雪、いい風景です。
 でも周りは「コロナ」で人々は日々大変な思いをしているのに、毎日自分は何をしているのかな?!私たちの小教区でも教会で何が出来る?何をしている!
出来ていたことが出来なくなり、何かすることがある、出来る事何をしたい?
出来ていた事の数と出来なくなった事の数の開きの大きさ、これからしようと思う事の数と無理との数の開き、この「コロナ」1日も早く収まって欲しいとの私たちの願いですよね。

“I.C.U. I can ultra SHIGOTO”
最近、読んでいる本『夜と霧』の著者フランクルからのメッセージ「どんな人生にも意味がある」の中で、山田邦男氏の解説の中で「創造価値」

- これは「何かを行うとき、活動したり、創造したり、すること、自分の仕事を実現すること」などによって実現される価値である。
日本の「仕事」という言葉は、自己欲望に仕えるのではなく、その都度の事に仕える。これが仕事ということの本来の意味であろう ―

このような文章に出会いました。
 
“I can ultra SHIGOTO”とは、こんなことも?
教会に行った時、玄関の靴を揃えてあげる事、聖堂の椅子を真っすぐにする事、会った人に「おはよう」、「お元気?」と挨拶する事、こんなことも“I can ultra SHIGOTO!”
出来ること、すること沢山あるんでないですか。
“ I(We)can ultra SHIGOTO”ですよね!

 

投稿者プロフィール

Fr.Nagao Toshihiro
Fr.Nagao Toshihiro
ロマーノ長尾俊宏司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』旭川フランシスコ修道院 修道院長
(旭川地区:旭川六条・神居・大町・富良野 主任司祭)