今年もあとわずかになりました。10月はロザリオの月です。10月の日本古来の呼び方は神無月です。そして来月は霜月でその次が師走です。この一年が早かったように感じます。

 先日ある信者さんから、「神父さんは、日曜日のミサが終わってすぐに帰らないで、30分でいいからみんなと話してゆっくりしていってください」とお願いの手紙をもらいました。教会は、まだコロナの影響が抜けず、人との接触が少なく、ミサが終わってすぐに人が帰ってしまう場になっていることを寂しく感じている人からでした。教会では、まだほとんどの人がマスクをしています。医療機関や老人施設と同じです。感染は恐ろしいですが、人との触れ合いがなくなった教会も寂しいです。わたしは今まで、教会に着いて、ミサの終わる一時間後に帰りのタクシーを予約していましたが、これからはあと30分遅くしてもらうつもりです。人との触れ合いや交わりを通して、神さまを感じられる場が教会でなければならないと思います。教会が人との触れ合いのない場所のままなら寂しいです。

 わたしは10月の教会便りには、ロザリオのことを書くつもりでした。女子パウロ会から「目からウロコロザリオの祈り再入門」という御受難会修道会の来住(きし)英俊神父さんの書いたわかりやすい本が出ています。来住神父さんは東京の板橋教会で洗礼を受けた方だったので、わたしは昔、板橋教会の信者さんと彼の司祭叙階式に出たことがあります。この本は、とても分かりやすい良い本です。ロザリオは祈りやすい祈り、ロザリオの祈り方、ロザリオの歴史、神秘を黙想する祈り方、ロザリオの祈りの利点などの項目があります。信徒にとって日々の祈りに最も適しているのはロザリオの祈りです。ロザリオの祈りは立ち上がりが早いという利点があります。本がなくてもすぐに祈ることができるのです。ロザリオの珠がなくても指があれば片手でもできるのです。教会の伝統の中で大切にされてきた祈りです。わたしは病気になり修道院を出て今の生活になってから、ロザリオは毎日5環祈るように努めています。朝起きて食事の時間までに2環しています。朝は時々居眠りしてしまい、ベッドの片付けに職員が入ってきても気づかないこともあります。夕方に2環して、夕食の後で残りの1環を終わらせます。片手しか使えないので本を開いて祈ることはできません。雑念ばかりで中身がスカスカの祈りになっているかもしれません。でもこの時間は神様の前に自分を置いているので、たくさんのことを教えてもらえます。しなければならないことに気づくことも多いです。いま自分の部屋でのミサや、共同でする教会の祈りなどもできません。でもロザリオの祈りはわたしの生活では万能の神の力です。みなさん、ロザリオの祈りをたくさん祈ってください。どんなかたちでも、ロザリオを自分の生活の中に取り込んでください。そうすれば10月からのわたしたちの毎日は、神無月でなくて、出雲の人たちのように神有月になっていきます。


『目からウロコ ロザリオの祈り再入門』 発行:女子パウロ会
御受難修道会司祭 来住 英俊 (著)

投稿者プロフィール

Fr.valentino Yamamoto Takashi
Fr.valentino Yamamoto Takashi
ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭