暑かった夏が去り、爽やかな季節になりました。わたしは山菜取りが大好きで、タケノコ採りや落葉きのこの時期にはいつも山に行っていました。お彼岸の頃になると大雪高原温泉の紅葉が見頃になります。赤岳、銀泉台の見事な紅葉もそろそろ見頃になります。でも今は車も手放し、運転もできないので、どこにも行くことができません。年を重ねて、時間がたくさんできた時には、身体が自由に動きません。人生はうまくいかないことが多いです。出来ないことを考えるよりは出来ることを考える方が健全です。それで、今は考える時間と祈る時間がたくさんあるので、意義ある生活をしなければと思います。わたしは鈴木秀子シスターの本を何冊か手元に置いています。その一冊の本の中に「大きな幸せは小さな喜びの連鎖から生まれる」という文章がありました。「大きな幸せはたまにしかやってきませんが、小さな喜びは毎日起こるものです。この小さな喜びをしっかりと心に留めて日々を過ごせば、毎日が気持ちよく感じ、やることすることが全部楽しくなります。小さな喜びのつながりが、たしかで揺るぎない人生の大きな幸せを生みだす原動力なのです。」と書いていました。大きな幸せは滅多にきません。だから日々の小さな幸せに気づく感覚が大切です。小さな幸せをいっぱい見つけて幸せな人生にしていきましょう。
先日、わたしの中学と高校の同級生が亡くなりました。友だちから連絡をもらったけど、名前は覚えていても、もう顔を忘れていました。それで写真を送ってもらったら、わたしが中学生の部活の時の写真でした。こんな時代もあったのだと懐かしく思いました。またお盆の頃、昔教えた生徒から連絡をもらいました。わたしは司祭叙階の翌年から、4年間、札幌・藤学園の高校生に宗教を教えに通っていました。その頃彼女たちが教会に遊びに来ていた時の写真をもらいました。今年その人たちは61歳だそうです。わたしがまだ神父になりたての頃の写真でした。こんな時代があって、こんな出会いがあって、今の自分がいるのだと思いました。まだ生きていること覚えてもらっていることを感謝しました。これが今年の夏の暑い時期に感じていたわたしの幸せでした。
投稿者プロフィール
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ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭