時の流れの変わり目は改めて自分を見直す機会になります。毎日、毎週、毎月、毎年、のはじめには、それぞれが自分を見つめ、何をすべきかを考えます。もうすぐ新しい年が始まります。わたしは身体がまだ元気だった頃には、今年は何をしたいかと考え計画を立てました。自分の担当している教会の今年の目標などを信者さんに伝えたこともあります。いま健康をなくして、病気療養している身になって、新しい年に何を望むかと聞かれても、ただ神さまから呼ばれるのを待つだけです。と答えるしかありません。いつ呼ばれてもいいように毎日しっかり生きることが大切です。ヘンリ・ナウエンは「神の時間」について、次のように書いています。死んだ後には、「後」がありません。「前」とか「後」という言葉は。私たちのこの世における人生一時と空間の中にある生に属するものです。死は私たちを時の流れの限界から解き放ち、神の「時間」へと導いてくれます。神の時間には時がありません。
わたしたちがこの世の命を終われば神のいのちに移ります。神のいのちははじめもなく終わりもなく、永遠のいのちです。
2014年にわたしはアメリカのネブラスカ州の小さな町の牧師さんが書いた「天国は、ほんとうにある」という本とDVDを買いました。この本は牧師さんの3歳の息子が急病で死にそうになり、奇跡的に息を吹き返してから、自分が臨死体験中に見てきたことなどを家族に話し、お父さんがその話を書き留めたものでした。コルトンというこの男の子は、あの世で、「ママのお腹の中で死んだ」お姉ちゃんに会ってきたこと。パパのおじいちゃんから、パパの子供の頃の話を聞き、パパが牧師になると言った時イエスさまは喜んだこと、など今まで誰も聞かせたことのなかったことなどを、話してくれました。わたしは天国では誰もメガネをかけた人がいないこと知りました。わたしは天国ではメガネがいらない、入れ歯も補聴器も装具もいらない、病人がいない世界だと感じました。この世界には時間がありますが、神さまの国では時間がありません。司祭の仕事は天国では必要なのかわかりません?でも何かの仕事かあると思います。音楽関係の仕事の人は向こうでは仕事がたくさんあるはずです。天国で立場が逆転する人もいると考えると楽しいですね。
投稿者プロフィール
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ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭