教会だよりの原稿の締め切りが目前に迫っていて、何か季節にあったものを書こうと思いました。来月はロザリオの月。その次の11月は死者の月、そして、12月、師走で待降節が始まります。今年も残り少なくなりました。

 最近は朝晩が寒くなり、日没も早くなりました。夕方は6時にはもう暗くなっています。これから、だんだん秋が深まり、紅葉が綺麗な季節になります。先日の敬老の日に、わたしは「神父様にロザリオ10環お捧げいたします」というお祝いメールをもらいました。敬老の日にお祝いをされたのがわたしの人生で初めてのことで、「老人扱いされて面白くないけど、たくさんのお祈りをしてもらって嬉しいな」と思いました。わたしは7月に神居の修道院の部屋を片付けたので、持っていた物をみんな処分して寂しくなりました。手元に残した本はわずかです。その中にヘンリ・ナウェンの「今日のパン、明日の糧」という本がありました。また鈴木秀子シスターの本も数冊残しています。鈴木秀子シスターは自分が臨死体験をしてから、死が怖いものではなく天国に旅立つことであり、死への恐れを手放すこと、身をゆだね死を受け入れることが大切なことであることをたくさん書いています。

 ヘンリ・ナウェンの本にこんな文章があります。「死とは、人生という地平線の上で徐々に小さくなっていき、最終的に見えなくなることです。港を離れ水平線に向かって行くヨットを見ていると、だんだんに小さく見えなくなっていきます。しかし、遥か遠くの向こう岸では、その同じヨットが、新しい港につくまで、だんだん大きくなってくるのをじっと見ていてくれる人がいることを信じなければなりません。死は喪失であり痛みです。埋葬から家にかえると、私たちの心は悲しみに沈んでいます。けれども私たちの愛する友を新しい家に迎え入れようと、心から喜んで待ちわびる方が向こう岸に立っていることに思いを馳せる時、涙の中から微笑みがほころび出ることでしょう」

 ヘンリ・ナウェンは天国へは三途の川ではなく、ヨットで向こうの港に到着するように書いていますが、向こうの港で待っていてくれる人がたくさんいることを考えさせてくれます。港に船が着くと歓迎の旗を持って、わたしたちの親しかった人や会いたかった人が待っていてくれると考えると、死は怖いことでなく心のワクワクすることです。船の出港時間に遅れないように、しっかり生きていなければと思います。


『今日のパン、明日の糧 Bread for the Joumey』
ヘンリ・J・M・ナウエン著
監修 嶋本 操 訳 河田 正雄 (聖公会出版)

 

投稿者プロフィール

Fr.valentino Yamamoto Takashi
Fr.valentino Yamamoto Takashi
ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭