『祈りによって優しくなれた』
10月はロザリオの祈りをたくさん祈ったような気がする。そうしたら自分がなぜか優しくなれたような気がしてきた。9月末に大分のトラピスト修道院の神父さんに蟹とホタテを贈ったら、10月初めにきたハガキに「山本神父さんのためにロザリオ100本とプラスαの祈り」の約束が書いてあった。こんなにたくさん祈ってくれた人のお陰かもしれないが、ロザリオを祈っている時間は、そのあいだ神さまのこころに触れているので、わたしのこころが温かく優しい気持ちに変えられたのだと思う。身体の調子が悪い時には、温かい優しい心が消えて、冷たい何も感じないこころになっていってしまう。でもロザリオを祈ったなら優しくなれたような気がして、ひろく寛大な気持ちになって、前向きになんでも明るく思えてくる。よくテレビで健康食品や化粧品のコマーシャルが入るとき「これは本人の実感です」と字幕が入るけれど、『山本神父は何も変わっていないよ』と思う人がいると困るので、『祈ったら優しくなれた』はあくまでも「山本神父個人の実感です」とことわっておく。誰かのためにとりなしの祈りをするとき、感謝するときに、思い通りにならないとき、困ったとき、悲しいとき、不愉快なことがあったとき、自分の力の限界を感じるときにロザリオを手にしよう。人生の最後に、お棺の中に横たわったとき手にかけてもらうロザリオを、生きている今のうちにもっと馴染みの深いものにしておこう。今もいつも死を迎えるときもいつも手にして祈っていたいものだ。
今月は死者の月だ。亡くなった人々のためにたくさん祈ろう。またミサも頼んでほしい。ミサは自分の力だけでなくキリストのあがないの業に、亡くなった方々を委ねることだ。でもそれだけでなく自分でもたくさん祈ってほしい。近ごろは景気の低迷で色々な国で公的資金による企業の救済の話しを聞くが、自己努力も大切なことで、なくなった方々のために、わたしたち一人ひとりが何らかのかかわりを持ち、祈る責任も負わされているはずだ。祈るなら皆がもっと優しくなれる。さらに聖徒の交わりの中で恵みがわたしたちに廻ってくる。
ここでチョット違うはなしだが、先日わたしが旭川にいたころ拾って15年間飼っていた猫のモモが死んでしまい、今はまだ少し寂しい思いをしている。先日遊びに来たお客さんと猫の思い出話をしていて「モモの子どもがモモにそっくりで、名前がタロウで、二匹で『モモたろう』だったと話したら、その方の知り合いに二頭の犬を飼っている人がいて、そこのワンちゃんの名前が「げん」と「イイカ」で、つなげると『いいかげん』になると教えてくれた。ずいぶん愉快な人もいるなと思った。
カトリック留萌教会において主任司祭として赴任されていた時に執筆された「教会だより2008年11月号」より
2018年10月31日(水)18時30分からのミサでの福音朗読後のお説教の中で福音箇所と「教会だより」の内容を交えて講話いただきました。
※水曜日19時より『祈りと秘跡』勉強会が行われています。勉強会が行われる日は18時30分よりミサが捧げられます。ミサも勉強会もどちらも、どなたでも参加できます。開講日の詳細は今週のお知らせをご覧ください。
投稿者プロフィール
-
ヴァレンチノ山本孝司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』 旭川地区協力司祭