神の私への愛
- to be loved - No.2
百メ-トルの長さはどのくらいのものか、大体わかるものです。重さや温度なども大体の見当はつきます。これは感覚でわかるもの、つまり経験を通して身につけた感覚からくる知識です。子供の頃に自転車に乗ることをおぼえると、その後何年もの間、ぜんぜん乗らなかったとしても、またすぐに乗ることができます。水泳もそうです。これは経験から覚えた知識、体得した知識です。
黙想も体得したものになると、いつでも、どこででも神の愛と出会い「わたしはある」(出エジ記3:14)お方と、心の通いを持つことができるようになります。神の愛や人の愛情がわかるのも、これと似ています。黙想は「感じる」センスにも助けられます。「考える」能力よりも、フトわからせる力やセンスを養いましょう。
「愛されている私」が実感できると、いつでも、どこででも「愛」を感じるようになります。美しい人を見て「花のようだ」と感じた人は、そのあと、花という花が、その人を思い出させられるようなものです。アシジの聖フランシスコは、そう言う人であったと、私は思います。
イエスとの出会いを通して「愛の神」に出会ってください。恐れの神のイメ-ジからは、喜びが得られません。愛されていることを感じたとき、神と私の間にある大きなへだたりを越えて、愛だけが共鳴し合います。<み言葉>を味わうことから、心の中にあるという七弦の琴が共鳴しますように。私の愛がかきたてられると、愛は外に向かって現われてきます。その愛が鳴り響けば響くほど、周囲の人の心の金線にも触れます。
心で祈るヒント:
☆ <み言葉>が心に響く個所を、静かに味わいます。
◎ 心の中に起ったことは「無」ではありません。何かあります。
★ 対話が一方通行にならないために、しばらく待ってみます。
☆ 感謝の心を、十分に表せましたか。
聖書の個所:
Iコリ 15:9~10 「神の恵みによって今日の私があるのです」
マタイ 18:10~14 迷い出た羊のたとえ
ヨハネ 17:23~26 「私に対するあなたの愛が彼らにあり」