五月のきさきを、あめつち歌う、ひと年めぐりて……今年もまた聖母月を迎え、毎日曜日には、ミサの前にロザリオの祈りが唱えられています。聖フランシスコの小品集の中にめでたし、聖なる貴女、いと聖き元后、神の母マリアよ………昔も今もあなたのうちにすべての恵みは満ち、すべての善はあふれる。……そして、神の母のすべての聖なる徳よ、あなたがたは、聖霊の恵みと照らしによって、信者の心に注がれると、信仰の薄い者を、信仰の深いしもべに変えてしまいます。こんな、聖フランシスコの聖母マリアへのあいさつがあります。
かつて、聖フランシスコのお母さんが町外れの古い小聖堂(サンタ・マリア・デ・アンジェリ=天使の聖母)でマリアに向って、どうぞ子宝を授けて下さい、神の国のために働けるような男の子をひとりと願いました。語り伝えによると彼の見捨てられた貧者に対する愛はいよいよ深まって行き「かれは不幸な人々にますます多く恵むようになった。金銭のない時は自分の帽子や帯、着ている衣服、貧しい司祭には聖具、布類を買って与える、また父親が留守であれば食べ残りを請いにやって来るこじきを思って食卓に食べられないほどの食事を用意した。」このやり方を母親は見のがすはずはなく、子供たちの中でも特に愛していたので、これについては何もいわなかった。
フランシスコは『回心』の後、ハンセン氏病の人の世話を続けながら聖堂の修復に力をそそいでいました。「あの聖堂=ポルチンクラは、すっかりうち捨てられ、だれ一人として訪れる者がなかった。聖母マリアの熱烈な信心家であった彼は、ここにとどまって聖堂を修復します。聖ボナベントゥラは「聖フランシスコがこの世でもっとも愛した所である」と言ってます。ここに彼らの仲間と共に生活をし、最後には自分の死場所ともなります。やがて、ここは全世界に拡がった小さき兄弟たちの「母なる聖堂」になります。あの修復された朝ミサの福音のことばは、「主は仰せられた。行くさきざきで『天の国は近づいた』とのべ伝えなさい。―ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」伝記作家チェラノは「フランシスコは、主のことばに対して、聞こえないふりなどしなかった。事情や都合に応じて耳をふさいだり開けたりする抜け目のない者ではなく、主のことばを決してないがしろにせず、文字どおり実行するよう、絶えず努力した」と。
聖母月、ロザリオの祈りを通して、私たちも、心を一つにして、聖母マリアと共に、主イエズス・キリストの福音の中に生きれるよう祈りましょう。
『聖フランチェスコの聖母』
アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ作
投稿者プロフィール

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ロマーノ長尾俊宏司祭
フランシスコ会 日本管区『小さき兄弟会』旭川フランシスコ修道院 修道院長
(旭川地区:旭川六条・神居・大町・富良野 主任司祭)
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