先週の日曜日までの福音は弟子たちを宣教に遣わすにあたっての注意事項や心構えについての福音でした。今週のマタイ福音書13章からは、イエスが大切にしていた「神の国」(天の国)の話になります。イエスが説いた「神の国」とは、物理的な領土や死後の世界ではなく、「神の愛と正義が完全に実現する神の支配そのもの」を指します。彼はこれを「現在進行形」であり、すべての人の心の中や人間関係において既に始まっているものと教えました。今日の福音は種蒔きのたとえです。イエスはその日、家を出て湖のほとりに座っていました。のんびりとした時間を過ごしていたところに大勢の群衆がそばにあつまってきたので、イエスは船に乗って座り、群衆は皆岸辺に立って聞いていました。それで、みんなが理解しやすい「種蒔きのたとえ」を話されました。蒔かれた種はイエスのみことばで、蒔かれた土地は人々の心です。当時のパレスチナの農地はあまり良い土地ではなく石ころの多い土地だったみたいです。農民はまず一面に種を蒔いてから土地を掘り返す方法をとっていたみたいです。無駄が多いようですが、パレスチナは日差しが強いところなので深く土をかけておく必要があり、この方法が確実だったそうです。わたしたち日本人ならきれいに耕した土地に丁寧に蒔くのに、土地があまりないところでは、種がいろいろなところに蒔かれてしまいます。土地は、神の国のこと(イエスの教え)を聞く心です。またこの話の大切なところはこの「種まきの話」の中心的メッセージは何かと言いますと、それは神の国は決して人間の力によるものではなく、神の計り知れない御業により、成長するということです。イエスの言われる『成長』はこの世的な単なる量的拡大ではありません。成長は隠されていたものが明らかに開かれ、現れ、発展していくということです。明らかにされていなかった固有のあり方が神の御業により開かれ、発展していくこと、これが神による成長です。その意味でも、この神の御業と成長は私たちの思いを超えています。ですから、大切なのは、私たちが神のみ業をひたすら素直に受け入れ、心を開くことです。実を結ぶ種だけでなく、実を結ぶことなく消滅した種も、神のはたらきそのものです。何の成果も上がらない、「休眠状態」と思えるような所にも、神は働いています。たとえ、人間的判断で小さな成果しか挙げられないと思えるような所でも、私たちの思いを越えたものが生まれるのです。とても神の働きがないと思えるような所であったとしても、そこにふさわしい神の実りが備えられていることをこの譬えは語っています。わたしは教会では神さまのことを仕事として話します。でもプライベートでは神様や聖書のことは口にはしません。口より態度が大切だと思っています。いつも自然に振る舞っていて、神さまの種を蒔いていけたら楽だなと思いますが、ところがこんな態度は見て欲しくない時に限って人に見られたりしています。惜しんで蒔くことはやめ、自分の心を柔らかい良い土地にしておきたいです。先日、わたしの行っているデイサービスの所長さんが、奥さんの実家が岩見沢の玉ねぎ農家で、最近は人手不足もあってドローンで玉ねぎの種を直播きする実験が行われていると言ってました。また上川地方でも最近はイネの直播きが行われているみたいです。イエスの時代の種蒔きみたいに、ドローンでの種蒔きは風でいろいろなところに落ちていきそうです。それでも道端の雑草のように逞しく繁殖していく種もあります。種がしっかり根づかないところでも〔先に種を蒔かれたわたしたち〕がしっかりと根を張り、30倍、60倍、100倍の実を結んでいけばいいのです。種はイエスが語る教えで、神を信じ、隣人を自分のように大切にするという、神と人、人と人との良き交わり方で、この世に神の国を生み出す種です。*(5)

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