先週の金曜日12日はイエスのみ心の祭日でした。「イエスのみ心の祭日」は全人類に向けられたイエス・キリストの無限の愛をたたえる日です。イエスのみ心の祭日は、固定ではなく、「聖霊降臨の主日」から3週間後の金曜日(キリストの聖体の祭日の後の金曜日)に祝われます。 今年は6月12日がみ心の祭日でした。祭日がある6月は、カトリック教会では伝統的に「イエスのみ心の月」と定められ、み心に対する特別なお祈りや信心が行われます。最近ではカトリック聖歌集も歌われることが少なくなり、イエスのみ心のことが教会で語られることもなくなり、少し寂しい気がしています。幸いに6月号の「聖母の騎士」に、亡くなられたフランシスコ教皇がイエス様のみ心をテーマにした回勅「主はわたしたちを、愛された」を残してくださったことが書かれていました。この回勅の中にイエスが、社会の中で「もっとも小さくされた人々」を自分のことのように考え、また極みまで愛を与えたことが考えられていました。いまの世の中は自分の国が富を持つことがもっとも大事で、強い国が我が物顔に振る舞っています。何でも「わたし」より「わたしたち」と考えなければならないのに、自分のことだけで、弱い人々、貧しい国や弱い人のことはあまり考えません。教皇レオ14世は前教皇の回勅「主はわたしたちを愛された」に続いて貧しい人々のために、貧しい人々とともに教会が行う配慮に関する使徒的勧告「わたしはあなたを愛している」を出されました。そしてすべてのキリスト信者がキリストの愛と、貧しい人に寄り添うように、キリストが呼びかけていることに、気づくように望んでいます。キリストはどんな気がするだろうか、これでいいのだろうかと、わたしたちはもっと考え、キリスト信者として、勇気を持って発言すべきなのです。ダメなことはダメ、自分が損をするから黙っているのは良くないです。先日、信者でない友人から、トランプさんはキリスト信者ですよね、と聞かれました。彼の自分中心の考え方や振る舞いがどうしてもキリスト信者には思えないというのです。みんなが遠慮しないで、教皇さまのように、戦争を起こすことはいけない。強いものが弱い者いじめをしてはダメだ、とはっきり言うべきです。今年の復活祭に教皇は、「争い、支配、権力へのあらゆる欲望を捨て、戦争によって荒廃し、悪を前に無力を感じさせる、憎しみと無関心が広がるこの世界に、主がご自身の平和を与えてくださるよう祈り求めましょう」と、述べました。いまスペインを訪問中の教皇はスペインの議会で「平和は政治的な願望として、そしてさらに重要なことに、真の道徳的義務として現れる」と述べ、欧州やその他の地域での再軍備ではなく「忍耐強い対話」を求めました。

 その上で、「武器は一時的な沈黙をもたらすかもしれないが、真の永続的な平和を築くことは決してできない」と訴えました。教皇は神の望みはどこにあるのかをいつも考えて発言しておられます。

 今日の福音は先週に引き続き、12使徒を派遣するにあたってのイエスの言葉です。天の国の福音を告げ、悪霊を追い出し、病人をいやす使徒たちの活動は必ずしも好意的に受け入れられるとは限らず(マタイ10章14節)、むしろ、迫害を受けることが避けられない(10章17-23節)ことをイエスは予告します。そして、その中でどういう態度を取るべきかが今日の箇所で語られています。*(5)

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