今日は聖霊降臨の主日から一週間後の日曜日で三位一体の主日です。
キリストの死と復活、聖霊降臨という偉大な秘義を祝ったキリスト者は、その救いが父と子と聖霊のわざによるものであることを思い、味わいます。三位一体とは、キリスト教における「神」のあり方を表す教理です。
父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊なる神の3つのペルソナ(位格)を持ちながらも、本質において唯一の神であるという神秘を指します。
三位一体は単なる難しい神学概念ではありません。イエス・キリストの生涯を通して示された神の愛の業を振り返り、神が人間を「恵みと愛の交わり」に招いてくださっていることを感謝する日です。
わたしたちは神の名において洗礼を受けました。十字架のしるしを自らの上に記すたびに、この名を思い起こします。聖体祭儀は十字架の印で始まり、十字架の印で終わります。そして、祈り始めるときも祈り終えるときも同じことをします。家に出入りするときや、その他さまざまな瞬間に十字架の印をする習慣がある人もいます。「十字架の印と神の御名のうちには、信仰を生み出し、祈りを力づける知らせが含まれています」。
わたしは今日の第二朗読のコリントの教会への手紙の中に、いつもミサの中で使っている「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同にあるように」という言葉を見つけて、とても嬉しく思いました。わたしは若くて元気だったころ、長い間、旭川地区の典礼委員を担当していました。それで典礼の規則や新たに決まったことなどにいつも気をつけていました。典礼の本や学者の書いたものにも目を通していました。あるイエズス会の典礼の神父さんが、司祭たちの犯しやすい間違いについて指摘していた箇所の中に、司祭はミサの中で世間的な普通の挨拶はしないようにという箇所がありました。普通の会話のように「おはようございます」と言わないで、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが‥‥」と挨拶してください。典礼で使う言葉は日常に使う言葉ではなく、特別な伝統ある言葉なのです。と書かれていました。ミサの中で大事なところで注意を呼びかける時に、司祭は「みなさんここからが大事ですよ。こっち向いてください」とは言わないで「主はみなさんとともに」と呼びかけます。わたしは近ごろミサの中で、司祭やお知らせをする人たちがそれぞれ何度も「おはようございます」と普通に挨拶していることを典礼の伝統からはみ出していて残念に感じています。聖水をつかうことや、福音を聞く時に、額と口と胸に小さく十字を切ることなども昔からの教会の典礼のしきたりです。今日、三位一体について考える日に、わたしたちが「父・子・聖霊」の名によって洗礼を受けたこと、そして毎日十字を切る度「三位一体」のうちに招かれていることに気づかせて戴きましょう。今日わたしは2年前の5月30日に44歳で亡くなった五条教会のSさんの追悼ミサを頼まれています。彼女はわたしが車椅子になってからは、五条教会のミサの時いつも祭服を着るのを手伝ってくれて、また車椅子を押してもらっていました。またその日のオルガンも彼女が担当してくれていました。年齢からすれば、わたしが先に向こうに行き、彼女を迎えてあげるはずだったのに、あと先が反対になってしまいました。同じ、父と子と聖霊の三位一体の信仰うちに、わたしたちはこの世のいのちの先にもまた交わりがもてることを信じることができるので幸せです。*(Ka)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Facebook&Instagramからもご覧になれます。







