今日は神のいつくしみの主日です。この日は、2000年4月30日、教皇ヨハネ・パウロ2世によって全世界の教会で祝うよう定められました。慈しみ(いつくしみ)は神の愛の最も深い表現であり、罪人を赦し、癒し、希望を与える愛を指します。
今日のミサで朗読される福音書(ヨハネ20章)には、復活したイエスが弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」と語りかけ、罪を赦す権能を授ける場面が描かれます。またイエスの復活を疑ったディディモと呼ばれるトマスに、「その指をわたしの脇腹に入れてみなさい」と言われ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われ、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と告白するエピソードも有名です。 ディディモはギリシャ語の双子という意味です。トマスはアラム語で双子を意味する名前です。使徒のトマスはたぶん双子の片方だったと思われます。復活したイエスは、週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていたのに、イエスが現れ、イエスの苦難の時にイエスから離れて逃げてしまっていた弟子たちを責めることなく、彼らに息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と言われました。また、その八日後に今度はトマスがいた時に現れたイエスは、トマスの不信仰を責めたりしなかったのです。神のいつくしみの主日は、「神の慈しみに信頼し、自らも隣人に対して慈しみ深くあること」が、この主日の中心的な呼びかけとなっています。4月6日の朝、ニュースを見ていたら教皇レオ14世が、「戦争をする力がある者」に対し「平和を選択する」よう呼び掛けた。いうテロップが流れました。昨年5月の就任後初の復活祭に際し、教皇レオ14世は世界を荒廃させている紛争の規模に無関心であってはならず、平和のために積極的に行動するよう国際社会に呼びかけました。先週の日曜日(3月29日)には、戦争を始めた「血塗られた手」を持つ指導者たちの祈りは神に拒絶されると宣言しました。そして、「戦争をする力がある者」に対し「平和を選択する」よう呼び掛けていました。先日、日曜日のお笑い番組(笑点)で、「むかし○○だったが、今は○○である」という設定の話に「むかしは世界の警察官だったが今は世界のならず者になっている国」と答えた落語家がいて受けていました。今年はアシジの聖フランシスコの没後800年にあたり、聖フランシスコ年に設定されています。先日、教皇レオ14世の「聖フランシスコ年の祈り」をもらいました。
わたしたちの兄弟である聖フランシスコ。
あなたは800年前に、平和の人として、姉妹である死に会いに行きました。
主のみ前でわたしたちのために執り成してください。
あなたはサン・ダミアーノの十字架のキリストのうちに
まことの平和を見い出しました。
十字架のキリストのうちに、
すべての壁を打ち壊す、和解の源泉を求めることを教えてください。
あなたは武器をもたずに、戦争と無理解の境界を通りました。
世が国境を築くところに橋を架ける勇気をわたしたちに与えてください。
紛争と分裂に苦しむこの時代に
平和を実現する者となることができるように執り成してください。
わたしたちが、キリストからもたらされる、武器のない、武器を取り除く
平和の証人となれますように。アーメン。
とてもきれいな祈りです。いまの世の中やトランプ大統領の横暴な振る舞いを嘆くだけでなく、わたしたちは祈っていかなければと思いました。人間が愚かでも、神さまにはいつくしみがあふれています。*(Ka)
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