今日は復活節第三主日です。もうご復活祭から三回目の日曜日なのでとても早く感じています。今日から五月で聖母月が始まりました。わたしたちは、もう何年も教会で聖歌を歌っていないですが、♪青葉若葉に風香りーて♪とカトリック聖歌を声を出して歌ってみたいですね。今日のミサは先日、富良野教会から神居の修道院に引っ越してこられたヒラリオ神父様も一緒に捧げてくださいます。ヒラリオ神父様は先週の日曜日に、司祭叙階60年の祝いをされたそうです。おめでとうございます。

今日の福音は、ヨハネ福音書の21章のガリラヤでのイエスのご出現と、ペトロに三回「わたしを愛しているか」と質問された話です。イエスとペトロのやりとりは、イエスが短い間に三度も同じ質問をしているので、少し認知症が始まったみたいですが、そうではなくて、もっと深い意味があります。ペトロはイエスが逮捕された後、三度イエスを知らないと言ったことに関連があります。この質問に使われた「愛する」という言葉は、ギリシャ語の原文では二つの言葉が使われています。イエスは最初と二回目にはアガパオーという言葉で、「わたしを愛するか」とペトロに聞いているのに、ペトロはもっと軽いフィオレー「好きです」という言葉で答えています。三回目の質問ではイエスの方がペトロに合わせ「好きか」と聞いています。イエスはペトロのレベルまで降りて来てくださっています。わたしたちが神さまを愛します。大切にします。という時も、ペトロのように軽い言葉で言っているような気がします。イエスはペトロの老後を暗示するような、あなたは年をとると自由が利かなくなり、他人に帯を絞められるようになる。と言われました。

先日、4月29日はわたしの4回目の脳梗塞の記念日でした。平成から令和に移る2019年の大型連休の時に、わたしは救急車で運ばれ入院しました。それまでは車を運転して、自分の好きなように動き、人に教え秘跡や神の恵みを与えていたのに、その時から、立場が変わりました。人から世話をされ、支えられなければ生活できなくなりました。年をとることは、いろいろなことを手放し、神さまの前にでる準備に入ることなのだと思います。わたしはもう少しして暖かくなったら、修道院の自分の使っていた部屋を整理しなければと思っています。自分の部屋の物は大切に思っていても、神さまのところに持っていけない物ばかりです。パソコンやたくさんの本やアルバムの写真、ローマンカラーやスーツなど衣類も何も持って行けません。

富良野からの引っ越しが終わったヒラリオ神父さんは17年間、同じ教会にいたので、荷物が多いと思います。でもまだ元気なうちにぜひ片付けして身軽になっておいてください。死ぬ時持っていける物は、せいぜい棺桶の中で手に巻いてもらうロザリオくらいです。
これは準備してないで、今になってしまったわたしからの、挨拶の言葉です。 *(K)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
Facebook&Instagramからもご覧になれます。

カトリック神居教会Facebook
https://www.facebook.com/kamui.Catholic/

カトリック神居教会Instagram
https://www.instagram.com/kamui_catholic/