明日は敬老の日です。ご長寿の皆さんおめでとうございます。最近の敬老の日は連休になって、若い人たちは出かけ、年寄りが残される日になっています。
今日の福音は、イエスが「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちに問いかけた話と、自分の十字架を取ってイエスに従うという二つのテーマがあります。イエスは、自分のことを「あなたはメシアです」と宣言した弟子たちに、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と言っておられます。多くの人は、結婚の絆によって結ばれています。そして、結婚式の時には、配偶者に対して「順境の時も逆境の時も、健康の時も病気の時も、いつも変わらぬ愛と忠実を誓います」と誓約します。ですからその後で何か辛いことがあっても、手を取り合って頑張るはずです。わたしたちがイエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白するなら、わたしたちも、困っている時だけでなく、どんな時も、あなたの生き方に倣います。あなたのように自分のいのちを差し出します。十字架と苦しみを受け入れることがまことの命への道です。と考えて生きていかなければなりません。
イエスは、「自分を捨てて、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」と言っています。十字架は人それぞれにある苦労、痛み、欠点、弱さなどで、どんな人にも必ずもれなく付いているものです。アルスの聖ヴィアンネ司祭は、「苦しみについての教え」の中で「天国に行くのは十字架によってです。病気、誘惑、苦痛等、十字架はわたしたちを天国に導くのに必要なだけ十分にあります。十字架は天国への階段です。わたしたちは、けちん坊がお金を追いかけ回すように、十字架を追いかけ回さねばなりません…」と言っています。「痛み」「悲しみ」「苦しみ」は人生の負に属するもので「マイナスの三位一体」です。人はこれを本能的に避けようとしています。でも、これは貴重な宝物にもなります。有効に利用しましょう。
キリストに従うことが、ただ十字架を背負うことだけなら、どうしても暗くなります。しかしキリストに倣うことはそれだけではありません。先日、わたしは「アンパンマン」の作者、やなせたかしの「明日をひらく言葉」という本を読みました。その中に「人間が一番うれしいことはなんだろう?長い間、ぼくは考えてきた。そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。実に単純なことです。人はひとをよろこばせることが一番うれしい」。母親が一生懸命に料理を作るのは「おいしい」とよろこんで食べる家族の顔を見るのがうれしいからだ・・・という文章がありました。「人はひとりで生きているように見えても、たくさんの人に支えられながら生きています。この人と人とを繋ぐパイプ役を果たしているのが、ほかならぬ笑顔です」という言葉もありました。
人をよろこばせる。親切にする。笑顔を届けることがわたしたちの使命だということも心に留めましょう。どうぞ行いの伴う生きた信仰生活を心がけてください。*(6)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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