今日は年間第23主日です。また、今日は9月9日で、「救急の日」です。この日はわたしの脳梗塞の記念日になります。わたしは52歳の時、1999年9月9日で9が並んだ日に発病しました。もう19年になりました。また、この年は平成11年だったので、2ヶ月入院して、退院の日はまよわずに11月11日を選びました。 先日の震度7の胆振地方東部地震では、旭川も停電になり、みなさんはいろいろ不自由なさったと思います。あの地震の時、わたしはフランシスコ会の黙想会で、石狩市の花川マリア院におりました。石狩市は震度5弱の揺れでした。石狩市は停電の復旧が遅く、次の日のお昼に、わたしたちが帰ってくる時もまだ停電していました。あとモーターで水を汲み上げている建物だったので、水も使えませんでした。たいへん不自由な黙想会でした。でも、指導者が、今月24日にさいたま教区の司教に叙階される、サレジオ会管区長の山野内神父さんで、元気の出るとても良いお話を聴かせてもらいました。

今日の福音は、イエスが「耳が聞こえず、口が利けない人」をいやされた話です。福音では「エッファタ」(開け)というイエスが使ったアラム語がそのまま伝えられています。口が利けない、耳が聞こえないなどの障害は、ただ肉体の障害だけではなく、霊的な面で考えて見ることが大切です。わたしたちは、心の耳と心の目をいやしてもらわなければ、神のこと、イエスのことを理解し、出会うことができなくなります。

今回の黙想会で、講話の時いつも居眠りしているもったいない兄弟がいました。その人は下を向いて話を聞いていて、聞く耳を持たないので、いつも言葉が頭の上を素通りしていたようです。人の話を聞くときは、ラジオならまだしも、生の人間が話しているときには、話す人の顔を見ていることが大切です。ミサの説教の時、もしみんなが下を見ていたら、司祭はとても話しにくくなります。「愛は兎のような大きな耳を持つ」と言います。話をよく聞く人は、人を大切にする愛の心を持っている人です。

次に見えることも大切なことです。キリスト信者は永遠の命という目標をしっかり見ていることが大切です。近くの目標しか見ていないキリストを知らない人たちとは、違う生き方をしてください。イエスと一緒に歩むことがキリスト信者の生き方です。黙想会の指導者が、「わたしたちの心に良いサマリア人の心が生まれるなら、わたしたちの心の中にイエスが生まれ、その人は人生の意味を見つける」と話されていました。サマリア人は困っている人をみてじっとして居れない人でした。山道で強盗に襲われた人に「こんな危ない山道を通るからだ」と説教するのではなく、自分の用事を差し置いてでもその人を介抱しています。わたしたちはいつも、愛を優先させた良いサマリア人の心を自分の心にしたいものです。

み言葉を聞くことの努力を忘れないでください。先日の地震の時、携帯電話はすぐ圏外になってほとんど役に立ちませんでした。どんな時も、神さまの声、人々の叫びなど、敏感にキャッチできる良い耳と良い心を与えてくださいと祈りましょう。 *(5)