みなさん主のご復活おめでとうございます。復活祭はキリスト教の一番大きなお祝い日です。クリスマスは商業ベースで物を売り込むために世の中が教会より早くからさわぎたてます。復活祭は毎年日にちが変わることもあり、信者でない人にはあまり知られていません。でも昨日の新聞には、森永製菓がイースター仕様の「チョコボール」を売り出した記事がありました。イースターを商売に利用しようとする企業もあるようです。
キリスト教はイエスの復活を信じた人々によって始まりました。最初キリスト信者を迫害していたパウロは、復活したイエスと出会いイエスこそキリストであると確信を持ち、熱心に宣教するようになります。彼は「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたの信仰も無駄です」と言い切ります。キリストを三回も知らないと言って裏切った使徒ペトロも、復活したキリストとの出会いから、「人間に従うよりも、神に従わなければならない」といって大胆にキリストを伝えるようになります。
キリストは死に打ち勝ち、復活の新しいいのちがあることをわたしたちに知らせてくれました。日本26聖人の12歳のルドビコ茨木少年は「パライソ、パライソ、イエズス、マリア」と言って十字架につけられていきました。(パライソは天国のことです)。先日、わたしは永井隆の「乙女峠」という本を読みました。毎年春に島根県の津和野から「乙女峠祭り」のポスターが各教会に送られてきていると思います。1865年に長崎の大浦天主堂で日本の信徒が発見されます。その3年後(慶応4年)にまだキリシタン禁制の時代だったので、浦上の信徒の中心人物114名が捕縛され、萩、津和野、福山に流罪になり、残酷・残虐な拷問を受けます。この年は江戸幕府が崩壊し、新しい政府が出来たばかりでした。しかし、明治政府のキリシタンの弾圧政策は諸外国からの抗議を受け、明治6年になってようやくキリスト教禁制の高札が撤去されます。それまでの間、浦上の信徒3394名が配流されうち662名が命を落としています。これは浦上4番崩れと呼ばれています。津和野では3歳の子が役人に呼び出され、「キリシタンをやめたらこのお菓子をみんなお前にやる」と言われたとき、「お母がね、キリシタンば捨てんならばパライソへ行ける、と言うたもん。パライソへ行けばね、そげんお菓子よりもっともっと甘か物あると・・・」と答えています。津和野に流された信徒たちは天国へ行けるという望みだけで厳しい拷問に耐えていました。乙女峠の本には、多くの殉教者の感動的な話が書かれていました。
イエス・キリストの復活は、救いのしめくくりです。またわたしたちの人生のまとめです。死の先に何があるか、見てきて教えた人はいません。イエスだけが復活し帰ってきていろいろなことを話されました。人の世界には大切なことがたくさんあります。わたしたちキリスト信者は魂の救いこそが唯一最大の課題と考えます。この通常の人生だけが本当の闘い、本当の仕事の場ではないと考えます。パウロは、わたしたちは洗礼によってキリストとともに死に、キリストとともに復活させられたので、上にあるものを求めて生活しなさいと勧めています。復活祭は、わたしたちが自分の行く末を考える大切な日です。