カトリック教会の暦で、復活祭から1週間後の日曜日は「神のいつくしみの主日」と呼ばれます。教皇フランシスコは2015年12月8日から翌年の11月の王であるキリストの祭日までの1年間を「いつくしみの特別聖年」としました。札幌教区では各教会の聖堂に「いつくしみ深いイエズスの御絵」を飾ったので、まだ覚えている方も多いと思います。  今の時代は、能力や生産性が人間の最も重要な価値であると思われています。競争が人生の基本的な原理になっていて、人は自分をいつくしんだり、他人をいつくしんだりするようなゆとりがなくなっています。神との関係でも、神の恵みといつくしみに頼るのではなく、自分の力と功徳に頼ります。神は善であり、いつくしみであることを、なかなか心から信じられなく、神を愛する代りに、神を恐れている人、喜びと平和の源である神に近づく代わりに、神から逃げようとしている人がたくさんいます。

4月4日はアメリカで人種差別の撤廃を求め、公民権運動を率いたキング牧師が暗殺されてから50年目の記念日でした。キング牧師にはわたしには夢があるという有名な演説を残しました。…私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である…。NHKの番組で、キング牧師次女のバーニスさん(55)が4月2日に「アメリカだけでなく、世界中で社会の分断や対立という課題に直面している」と語り、そのうえで「キング牧師が残した思いに今こそ光を当てるべきだ」と述べて、差別の撲滅に人々がさらに取り組むよう訴えたことを報じていました。今年3月にはアメリカで行われた銃規制の強化を訴えるデモのとき、キング牧師の9歳の孫ヨランダさんが、祖父の有名な演説になぞらえて「私には夢がある。銃のない世界を夢見る」と訴えました。皆さんにはどんな夢がありますか。わたしたち一人ひとりの持つ夢が、神が喜んでくれる夢であって欲しいと思っています。

2年前の神のいつくしみの祝日に、教皇フランシスコは、福音書は「神のいつくしみの書」ですと言い、そこに記されているイエスの言葉と行いは、御父のいつくしみの表現そのものです。また福音書はこれからもキリストの弟子たちの具体的な愛の業や、いつくしみの証しによって書かれ継がれていくべきものですと言われました。いつくしみやあわれみが、世の中からどんどん忘れられる時代になってきました。イエスは「神のいつくしみの使者」と呼ばれる聖ファウスティナに、「隣人に対していつくしみを実行する三つの手段をあなたに教える。第一は、行ない。第二は、言葉。第三は、祈り」であると言われました。典礼聖歌に「いつくしみと愛があればどこにでも、神はそこにおられる」という歌詞の曲があります。きれいな曲です。今日の福音のイエスの言葉には、いつくしみと愛があります。ご復活の後で弟子たちに現れたイエスは、彼らがイエスを見捨てて逃げ去ったことを責めたり、不信仰を咎めたりすることなく。「あなたがたに平和があるように」と言われました。ここに本当のイエスのやさしさといつくしみを感じます。わたしたちも神のいつくしみに見習うことができるよう、聖書に親しみましょう。