先週は、月曜日から金曜日まで、函館のトラピスト修道院で、フランシスコ会の黙想会がありました。トラピスト修道院の人たちは、フランシスコ会と違い、定住の誓願を立て、「祈り」活「働け」の厳しい修道生活をしています。わたしたちと生活スタイルが違いますが、本物の修道生活に接し、身が引き締まる思いがしました。夜は8時に寝て、朝は3時に起床していましたが、わたしたちは真似が出来ないので、5時30分の朝の祈りから参加していました。
今日の福音のマタイ18章は、教会共同体のありかたについての教えを集めた個所だと考えられています。小さい者をつまずかせること、迷った羊を探しに行く羊飼いのこと、7の70倍までも人の過ちを許すことなどが書かれていて、今日の箇所は罪を犯した兄弟を連れ戻すためにどうしたらよいのかが述べられています。聖書学者たちは、イエスは教会の在り方についてはあまり語っていなく、マタイが自分たちの教会のために、イエスの言葉を加筆し修正してこの箇所に集めたと考えています。今の教会には教会法という法律がありますが、初期のころはそのようなものがなく、イエスの言葉をいろいろ調べなければなりませんでした。教会から離れた人に対して、すぐ見捨てるのではなく、関心を持つことが大切でした。
今日の聖書の箇所の後半は祈ることがテーマになっています。イエスは二人三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいると言います。名によって集まることは「イエスのうちに一つに結ばれて」という意味です。二人三人で一緒に祈るときには、自分のことだけでなくまわりの人のことを考える必要があります。
今回の黙想会では、トラピスト修道院の祈りの時間に合わせ、フランシスコ会も、一日に5回、聖堂で一緒に「教会の祈り」を唱えました。しかし、フランシスコ会には、祈りに出てこない人、何度も遅刻する人もいました。また、音の高さを合わせない人、聖堂なのに膝を組んで祈りをする人など、わたしには、だらしなく感じる人が何人もいました。
わたしたちキリスト信者は、独りではなく、いつも誰かと共に信仰生活を歩みます。また家庭や教会などの共同体に所属します。自分勝手を押し通すと共同体が壊れます。今日のミサの集会祈願で「キリストの名のもとに集うわたしたちが、互の成長を願い、ともに歩み続けることができますように」と祈りました。お互いが助け合い、ゆるしあい、理解しあいながら歩んでいきましょう。教会共同体の中での調和、協調性と熱意も教会が発展していくために大切な要素になります。
黙想会で、惑星の話を聞きました。昔の人は火星や金星のような星が決まった動きをしなかったので、惑う星(惑星)と呼びました。地球も惑星なので、地球から見ていると、他の惑星の動きが複雑なのです。でも、遠くから太陽系を見れば、どの星も規則正しく太陽の周りを回っています。自分中心の見方ではなく、離れて見ることは大切です。すこし距離をおいて遠くから、さらに神中心の見方をすることはもっと大切です。