みなさん主のご復活おめでとうございます。復活祭はキリスト教の一番大きなお祝い日です。復活祭は移動祝日で毎年日付が変わることもあり、日本では一般の人にはあまり知られていません。しかし、先日の新聞に、『イースターを商機につなげようと、食品メーカーなどが関連商品の発売やキャンペーンに取り組んでいる。少子高齢化で国内市場縮小が懸念される中、「ハロウィーンに続く商機に育てたい」と各社の鼻息は荒い。果たして「二匹目のドジョウ」となるか−−』といった記事が出ていました。商魂はたくましいですが、ご復活の意義が日本の人々に正しく伝わるかどうかは疑問です。
キリスト教はイエスの復活を信じた人々によって始まりました。キリストの復活はすべての要です。パウロは「キリストが復活しなかったとしたら、わたしたちの宣教も無意味なものであり、あなたがたの信仰も無意味となる」(1コリ15.14)と述べます。キリストの復活は、死が人間の終わりではないこと。人間の本当の救いはどこにあるのかを教えてくれました。この世は移り変わります。どんな幸せも時の流れとともに変化して色あせます。若かった人も年をとり、むかし出来たことができなくなります。どんな美味しい物も食べたらなくなります。復活の身体は、時間と場所の束縛から解放された命です。昨日、北海道新幹線の新函館北斗と青森間が開業しました。新函館北斗から東京までが最速4時間2分で結ばれたようです。キリストの復活した身体は、もう場所にも時間にも縛られませんでした。わたしたちもキリストにつながることで新しい復活の命を受けます。
復活の命を受けるためには、その前に死ななければなりません。先週、信者さんに頼まれて、もう危ないと言われている93歳の方に、病者の秘跡を授けてきました。その時、病人は苦しい息遣いをしていて「これだけ苦しい思いをしなければ天国にいけないのですね」と言いました。家族や親しい人が入院し、ドクターからもう長いことないと言われたら、たいへん苦しみます。でも、その先の命のことを考えてください。死ななければ復活も新しい命もないのです。イエスと親しかったラザロの甦えりは以前の体に蘇っただけでした。しかし、キリストの復活は新しい命への復活でした。
むかし、わたしは非常にお世話になった親しい歯医者さんの通夜の時、復活の命について説教していて、つい口が滑り「わたしはあの世で先生に会ったら、『よっ、歯医者復活!』って冷やかしたい」と言ってしまいました。わたしは復活が待ち遠しいです。
イエス・キリストの復活は、わたしたちに死の先に何があるかを教えてくれました。人の世界には大切なことがたくさんあります。わたしたちキリスト信者は魂の救いこそが唯一最大の課題と考えます。いま生きている命は大切です。でもこの命は時間の中にあるので死に向かっています。これに対して復活の命は永遠に生きる命です。パウロは、わたしたちは洗礼によってキリストとともに死に、キリストとともに復活させられたので、上にあるものを求めて生活しなさいと勧めています。