マタイ福音書では天の国(神の国)の秘儀について13章でまとめて書かれています。種まきのたとえは、畑に蒔かれた種がどんな土地に落ちたかで、実の結び方が異なる。また敵が来て毒麦を撒いていく話し、からし種やパン種のたとえのように最初は小さいこと、さらに畑に隠された宝のようなものなどさまざまな面からその神秘が語られていました。今日の福音はエルサレムの神殿でイエスが祭司長と民の長老たちと対決する場面に置かれていて、キリストを受け入れなかったユダヤ人の運命と、異邦人に救いがもたらされた歴史が描き込まれています。今日の箇所には王が息子の婚宴のために開いた宴会と、招かれた客たちの反応を描いた「婚礼の宴のたとえ(婚宴のたとえ)」が含まれています。王は招いておいた人たちが婚宴に来なければ、無理矢理人を引っ張ってきて婚宴に詰め込みました。しかし、その中に礼服を着ていないものを見つけ追い出します。イエスはこのたとえで、宴を催したのは神様で、それに応えなかったのがユダヤ人たちで、彼らは旧約の預言者たちやその独り子さえも殺してしまいます。神はどんな人もそこに呼び入れたいのです。しかし婚礼の礼服を着けていなかった人を追い出します。それは神の国に入るのにふさわしい行いのなかった人が出されてしまうと言っています。
最近わたしはレオ14世の回勅「人間の偉大さ」を読みました。この回勅は人工知能(AI)などの先端テクノロジーが普及する現代において、人間の尊厳と人格を守る重要性を説いた文書です。これはAI自体を悪とみなすのではなく、人間の偉大さは能力や富、効率性ではなく、限界を抱えながらも神から与えられた尊厳の中にあると強調しています。 そして共通善への方向づけで、人類がこれほど大きな技術的権力を手にしたことはかつてなく、その力を分断ではなく正義・平和・愛のために使うよう訴えています。教皇はさらに人間らしさの回復、互いに支え合い、弱い人を大切にする「人間性」の進歩が必要であると説いています。AIは役に立つものですが、人間の尊厳が守られ共通善を目指すものではありません。あくまで人間が中心に置かれなければなりません。AIは便利ですが、人間性を高めたり、功徳を積むようなことはできません。AIはわたしが説教を作る手助けはしてくれても、代わりに祈りをさせることはできません。神さまはなんとしても人を救いたい、ご自分のところに呼び寄せたいとお考えです。
わたしはマザーテレサの祈りで、「主よ わたしをお使いください」の祈りが好きです。
♪ 主よ 今日1日 貧しい人や病んでいる人々を助けるために 私の手をお望みでしたら 今日 私のこの手をお使い下さい。 主よ 今日1日 友を求める小さな人々を訪れるために 私の足をお望みでしたら 今日 私のこの足をお使い下さい。 主よ 今日1日 優しい言葉に飢えている人々と語り合うために 私の声をお望みでしたら 今日 私のこの声をお使い下さい ♪
最近の新しい機械やパソコンやスマホにとてもついていけなくても、わたしたちは神さまも人も大切にすることができます。AIの時代についていけなくても、愛を行い徳を積むことができます。マザーテレサのように今日わたしをお使いくださいの心で毎日を過ごしましょう。アシジの聖フランシスコのことを考えたら、彼の時代にはまだ何も無かったです。パソコンもスマホもまた電気さえも無かったのです。彼は大聖人になりました。わたしたちが神のみ旨を行い、神の喜ぶことを行うなら、神の宴に近づいていくことができます。*(5)
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