目からうろこ
– The scales fall from the eyes –

神学講座に通っていたころの大発見です。若いころのことです。私にも若い頃がありました。驚きかもしれません。 後期高齢者の私しか知らない方には、“ご復活”を信じるよりも難しいかもしれません。

当時、東京の四谷の大学に神学講座がありました。土曜日の午後に上京して、講義に出席していました。単位を取得すると、カテキスタの資格が取れたのが魅力でしたが、足利からの通学は大変でした。戻ると真夜中なりました。

講師のP・H神父から、キリストについて学ぶよりも、お祈りしなさい。キリストを知るよりも、お祈りを学びなさい、と助言されました。若い私を見て、実際、聴講生はみんな中年に見えました。私は20歳でした。受洗間もない新信者の私は、神について、キリストに“ついて”の知識欲が旺盛でした。つまり“アバウト”な知識に飢えていました。しかし、P神父様は、キリスト知ること「To knowキリストを知る」ことが肝要ですと教え、さらに黙想会に参加することを薦められました。★「その方(父)を私は知っている」(ヨハネ8:55)

夏休みに二泊三日の黙想会に初めて参加しました。そこで小さな「目からうろこ」体験をしました。この表現は、迫害者のサウロがパウロになったこと指して言います。詳しくは使徒言行録9章を読むとわかります。18節に「サウルの目から“うろこ”のようなものが目から落ちて、再び見えるようになった」と記述されています。聖パウロの「キリストを知る」体験をとおして、人が、今までわからなかったことを突然、理解できるようになったことから「目からうろこ」というのです。「To knowキリストを知る」。

パウロの場合、ダマスコという町に行く途中でイエスと出会い、目が見えなくなってしまいます。見えなくなった目からうろこを落としてくれたのは、アナニアという人だったということです。それも、ダマスコに住んでいたアナニアが、たまたまのようなことでパウロに出会い、回心のきっかけを与えることになったわけです。神さまのお手伝いさんのことを、どう思いますか?

聖書箇所:コロサイ3:12 ―16

12だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。14これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。16キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい