神の私への愛
- self worth - No.3

私の存在には価値があるという実感、すばらしい才能です。持ち物によらず、働きによらず、ありのままの自分自身を受け入れられるのは、信じられないくらいです。受け入れられていることを、自分が受け入れるためには、信頼や謙そん、勇気がいります。神の愛は「それに値しない者への愛」です。神の無償の愛を信じるところから、すべては始まります。

神の家を訪問する時には、手土産の大小を気にする必要はありません。人間の世界では、学歴や肩書き、お金や容姿がものを言います。成績のいい人、よく出来る人が評価されます。しかし、世の価値基準とは違うのが、神の国、福音の世界です。

神の愛は、それに値しない者への愛です。ふさわしいものは一人もいません。神が求めておられるのは、ただイエスを主と信じ、その福音を生きる人として、天の父のみ旨を行なうことです。愛は純然たる賜物です。愛は商取引ではありません。
「愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人はさげすまれる」(雅歌8:7)と記されています。

ヴィクトル・ユ-ゴ-の「レ・ミゼラブル」を思い出してみましょう。ジャン・バルジャンを回心させたのは何だったのでしょうか。無償の愛の体験でした。彼はまず人間に出会います。食事と銀の器を与える司教の後ろには、高貴な人間の愛がありました。
彼は、ありのままの自分が、ありのままに受け入れられている驚きと喜びを味わい、自分の存在の価値を実感して、生まれ変わりました。愛だけが、囚われから解放します。ジャンは、心の牢獄からも解放され、自由になったのです。

心で祈るために
◎ 大切にされた思い出がありますか。親、隣人、教会、共同体
☆ 優しい言葉をかけられたことがありますか。いつ、どこで。
★ 忘れられない親切を受けたことがありますか。誰に。
◎ 感謝の思いを、十分に表せましたか。

聖書の個所
ル カ 19:1~10 「ザアカイ、ぜひあなたの家に泊まりたい」
ヨハネ 8:1~11 「私もあなたを罪に定めない。行きなさい」