幼子のように
「子供のようにならなければ神の国はいることができない」

赤ちゃんを見るとき、人はほほえみ(微笑)を浮かべます。無心な表情で、じっと見つめる瞳の清々しさに、心の武装が解除されるようです。その邪気のない姿には、疲れた心をいやす力があります。か弱い存在に秘められているパワーに驚かされ、無心、無欲、無所有の、ありのままの人間の強みに打たれます。

「幼子のように」なることをイエスは弟子に勧めました。そのようになれたらどんなにすばらしいことでしょうか。人間は成人して行くにつれて、「思い悩み、心を乱している」(ルカ10:41)マルタのようになります。なぜか恥ずかしさと恐れを覚えて、自分の弱みを隠すようになります。無意識のうちに緊張している自分を思い浮かべると、「怒って顔を伏せた」カインを思い出せます。
☆ 何か案じていること、心配していることがありますか?
☆ 「取り越し苦労」に終わったことがありませんか?

幼子のように「ありのまま」でいられると、どんなに良いでしょうか。正直に弱さを隠さずに話せると、緊張が解け気持ちも楽になるのと感じます。
☆ 「鳩のように素直になりなさい」。このように願いますか?

隠したいことが、いろいろあるのが普通の人間です。人間社会にはいろいろと物差しがあって、「ありのまま」でいることを妨げさせます。早いと遅い、強いと弱い、よく出来るとか、たくさん持っているとか、それを気にすると、隠すようになります。
山田邦子さんは、好感度ナンバーワンのタレントですが、彼女はデベソだそうです。小学生ぐらいからデベソであることが恥ずかしくて隠すのに苦労したと、ラジオで話しているのを聞きました。プールの日の水着が苦痛だったそうです。
☆ 隠したいことがありますか? 恥と思っていることがありますか?

自分に自信をもてないという人がいました。自信とは「自分を信じる」と書きますが
自分のこれからの人生を信じるのです。人の一生には意義も価値もあります。これからの人生に希望を持ちます。(「居る甲斐と行く甲斐」参照)。
自分を好きになることも必要です。「隣人を愛しなさい」との命令には、前提として「自分を愛するように」が補足説明されています。そのようになれるためには相手がいります。人から信頼され、仕事を任されて、、、つまり受け身の愛の体験が必要です。
生を受けて以来、人からも生かされてきたことに気づくなら、これからの人生についても信じられます。生きること、それは「生きよ」と仰せになった神の命令です。
「私はだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」(エゼキ18:32)と。


★ マタイ25:14~「タラントン」のたとえ

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた」。
イエスさまは一人ひとりを信頼して、大事なものを預けたのだと考えてはどうでしょうか。それを喜んで受けとめた二人が、主人の期待に応えて良い働きをしました。しかし、もう一人は隠しました。「恐ろしくなり、隠しておきました」と言います。人間にとって一番手強い敵は、外から来る敵ではありません。敵は内側にいるのです。恐れや疑い、不信です。
「神は愛です」と聞いています。その愛をイエスさまが受難と十字架、復活の姿で示してくださいました。もっと「ありのまま」の自分に自信を持ちたいと思います。
さらに自分の未来についても、希望を持ちましょう。
皆さんは、タレントさんです。すべての子供は、人間はみんな、タラントンをもって生まれてきます。与えられた恵みや才能、賜物を信じて、働かせることが、課題です。誰にも働かせるなら、幸せになれる力が備わっています。信頼して働きます。

★ マタイ 25:1 「十人のおとめ」のたとえ
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
「賢いおとめと愚かなおとめ」の譬えがあります。何がそうさせたかというと、それは大切なものを大切にしたからです。人には、ゆずることのできないこと、代わってあげることのできないものがあるのです。油は「人に分けてあげることのできないもの」を意味しているのではないでしょうか。人生の生き方です。親は子どもに良いものをたくさん与えることはできますが、子どもが生き方を自分で選ぶしかありません。誰もその人の代わりにその人の人生を生きることはできないのです。

★ ヨハネ 5:29~30
「善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。30私は自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。私の裁きは正しい。私は自分の意志ではなく、私をお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
「最後の審判」の譬えもあります。そこで右と左への仕分けがあります。誰のために働くのか、優先順位があります。飢えている人、着るものがない人、病気の人、助けを必要としている人に対して「あなたは何をしたのか」と王が尋ねます。賢いと愚かに分離させるのは、自分のせいなのだと気がつきます。皆さんには神の恵みもあれば、神からゆだねられた責任もあるのです。
人には<信仰>があります。お祈りもはずせません。それには<希望>が続きます。<愛情>ももちろんです。恐れではなく、信仰と希望と愛を心に秘めて、元気よく生きていきましょう。