「年賀状で祈る」
- 住所録やアルバムでの祈り -

「神がいるのなら、見せてくれ。そうしたら私も信じる」という人がいます。キリスト者の中にも、神を目に見える世界の中に探す人もいます。イエスの弟子の中にも「この手を(イエスの)わき腹に入れてみなければ、決して信じない」(ヨハネ20:25)と言った人もいました。しかし、神を外部の世界に求めても、見いだすことはできません。聖ヨハネは、イエスがトマスに向かって「見ないのに信じる人は、幸いです」(ヨハネ20:29)と言ったことを伝えています。
「前もって神を見ることはできませんが、神の軌跡を見ることはできます。軌跡とは、神の通り過ぎた跡のことです。目を上げると絶妙な宇宙や天と地の営みに出会うでしょう。結果があれば原因もあるはずです。知恵あるものの存在を認めないわけにはいきません。
「モーセが、どうか、あなたの栄光をお示しくださいと言うと、主は、私の顔を見ることはできない。……あなたは私の後ろを見るが、私の顔は見えない」(出エジ34:18―23)と応えました。大事なことは、心で観るのです。
神の通り過ぎた跡を、自分の歩いてきた人生の中に見ることができます。神との出会いは、人と人との間、出来事の中にあります。神は生きている神ですから、私たちの出会いと関わりの中でこそ、ご自分を示されます。日常生活こそ、出会いの現場です、神との出会いも、人との出会いも。振り返って観ることをしましょう。神の現代語、それは出来事と出会いのうちにあります。

今までに大勢の人と出会いました。忘れ得ぬ人々がいます。今も関わりの続いている人もいれば、忘却の彼方にいる人もあります。今ここに生きていることは、忘れ得ぬ人々や忘却の彼方にいる人々と生活を共にした証拠です。そこに神も、共にいてくださったのです。たとえ気がつかなくても。しかし、気がつくなら喜びは、さらに大きくなり、自分の価値に、もっと目覚めるでしょう。

☆ 年賀状(あるいは住所録)から出会いの経緯や関わりをお思い出します。
* どんな言葉を交わしましたか?  * 何を、お互いにしましたか?
* 何か、してもらいましたか?   * 何か、もらいましたか?
* 心に浮かんだもの、気持ちに正直になれますか?
☆ 喜びや感謝の気持ちを味わいます。隠れておられた方に気がつきますように。ただ有り難いと感じる気持ちに素直になりましょう。

☆ 祈ります、差出人のために、友のために。 神に感謝を表して祈ります。
「兄弟よ、私はあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。..心があなたの
お陰で元気づけられたからです。」(フィレモン1:7)。