心から心へ愛をもって
- Openness to the Lord -
人間には、神を愛することができるでしょうか? わかりません。イエスさまの言葉と行いから、ただ言えることは、心から心へ通い合う目に見えないかたちがあることです。愛する心によって、愛することができると信じています。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、..」あるのみです。小話から考えてみましょう。
昔、ある所に一人の修道女がいました。激しい苦行をしては、神に奇跡を行なう力を求めました。そして願いが聞き入れられました。彼女は病人をいやすことのできるようになりました。たくさんの病人が彼女を訪れて、修道院の門前は市場のようになりました。
それで人々から称賛されます。しかし、なぜか彼女の心は、なぜか満たされされません。
そして訴えたのです。
「神さま、私は忙しくて祈るひまさえありません。困ります」
「では、どうしてほしいのかね」
「私は、聖書の奥義を知る恵みがいただきたいのですが、….」
神は、願いを聞き入れてくださいました。それからは聖書が面白いようにわかります。神学博士が頭をひねるようなことも、すらすらと説明ができるのです。知識欲は満足させられたのですが、なぜか心はむなしいのです。知識欲は満足されても、少しも心に響き合うものがありません。わけもなく、うつろな心のうちに沈んでいました。
「娘よ、何が不満なのかね」
「ああ、神さま、私はあなたの愛を味わいたいのです。心から心へ通うように
どうか、あなたの御心をくださいますように」
「それはできない。娘よ、おまえがまず心を開いてくれなければ、…。
私も、心からの愛がほしい。愛する心があってこそ、すべては喜びとなるのだ、
愛があるなら、どんなことでも。平安があなたの心にあるように….。」
試しにやって欲しいこと:
☆ み言葉が、心にしみとおりますように、….ポレポレ(ゆっくりゆっくり)やります。
★ 心のなかに、妨げを置きませんように、…こだわりや心の囚われを捨てます。
○ 朝日の昇るのを、夕陽が沈むのを、ただ眺めます。花の姿、虫の姿を眺めてみます。
聖書の個所:
マタイ:6:25~34 「空の鳥をよく見なさい。種を蒔かず、倉に納めもしない」
ル カ:10:39~42 「マリアは主の足もとに座って、その話しを聞き入っていた」